喜多郎のシルクロードへ再び | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

NHK制作のドキュメンタリー番組のシルクロードの喜多朗のシンセサイザーで一躍有名になったシルクロード、どれだけの日本人の心を捉えたことでしょうか。1980年代に流れた喜多朗の音楽は私の青春時代のひと時コマでもありました。

 

このシルクロードに憧れて憧れて初めての中国訪問も北京や上海でなく、新疆ウイグル自治区のウルムチやトルファンでした。もう30年近い時が経ちます。2度訪れただけですが。

 

今の中国とは全く異なってまだまだ貧しい共産党色の濃い時代の中国でした。そして漢民族の文化とは全く異にしたイスラム教徒のウイグル族が住む新疆ウイグル自治区は異国情緒にあふれた喜多朗の音楽のイメージとピッタリのトルファンでありました。

 

道も悪路、飛行機も天候等に左右されまともに飛ばない時代、飛行j機も旧ソ連時代の古い飛行機、乗るごとに沢山のお土産がでる中国人には夢の夢の飛行機でした。飛行機が飛ばないと陸路移動、当時は道も全く整備されておらず昼夜ミニバスで移動した大変な経験もありました。

 

しかしあれから20年以上も新疆ウイグル自治区に足を運んでいません。中国政府のウイグル人弾圧のニュースは見ていますが、一体現実は一体こうなっていることやら。

 

カザフスタンでは新疆ウイグル地区から中国政府の軋轢から逃れた優秀なカザフ人家族とのお付き合いがありましたが、今回の渡航はシルクロードの町の変貌とウイグル人弾圧の現状をこの目で確かめたい思いが強くあります。

 

連休明けの出発を前に喜多朗の音楽を聴きながら、荒涼たる砂漠が続く中国のシルクロードへの想いで一杯です。まだ若き時代に訪れたシルクロードはきっともう変わってしまったことでしょう。町や道は整備され昔の面影はないかとは思いますが、荒涼とした砂漠地帯に続く、孫悟空の舞台となった燃え盛る火焔山は変わることはないでしょう。