故江本勝先生のお墓参り | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日は年末に参加した江本勝先生の「水の詩」を作詞作曲された瀬戸龍介さんのパーティに出席させていただきたことからの流れで、江本勝先生の仕事を引き継いでいらっしゃるさんも御子息である博正さんもが運転される車で、初めて江本勝先生のお墓参りに行かせていただきました。

 

江本勝先生は高坂和導が他界した後、私が竹内文書の海外普及等にアドバイス、そして実際に様々な出版社にお声をおかけいただき、海岸で初めてメキシコでスペイン語版の竹内文書の出版を実現させてくださった私の恩人であります。高坂が元気な頃はお会いしたことはありませんでしたが、私をずっと支えてくださった方です。

 

そして江本勝先生は2014年10月17日に他界されました。10月17日は正し2002年に他界した高坂和導と全く同じ命日でした。私はいつもながら海外出張にて、江本勝先生の告別式等には全く参列することができませんでした。そして1年後もまた。ずっと気になっていましたが、昨日ご挨拶をさせていただきました。

 

江本先生はかつて日本では偽科学者等随分酷評されました。しかし海外での江本先生の人気は絶大なるものがありました。私がメキシコでも竹内文書の出版記念講演会に同行させていただきた際の現地の人々の多さ、反応には目を見張るものがありました。

 

江本先生は本当に子供のような童心を待たれた方でした。そしてそれをずっとサポートされていたのが奥様の和子さんでした。奥様なくては活動できない江本先生でした。

 

江本先生のお墓はかつて住まわれたマンションからよく見える素晴らしいお墓でした。周辺のお墓には皆お花がきれいに飾られた亡くなった家族の方々の想いがそのまま感じらる心地よき墓地でした。江本先生は生前、亡くなったらここへと決めていらした場所だったそうです。

 

そしてその江本先生のお墓の前には他には見られない二つの穴(窪み)がありました。そう、それは何と今でもずっとお墓に通われている和子夫人が膝まづいてできた穴だそうです。お墓参りの後、和子夫人の自宅に寄らせていただき久々の再会でした。以前と全くかわらないスリムなお姿と笑顔にほっと一息。

 

御子息で跡継ぎでいらっしゃる博正さんも今週からインドネシアでも出張講演に出発されるそうです。そして今年は「水の伝言」が出版されて20周年だそうです。秋には世界中の方々が集うイベントを計画します。私ももちろんお手伝いさせていただきます。