三和 導代 です。
今日は1月2日、昨日の元旦は家族が全員集まって、初もうでとお墓詣り、そしておせち料理を食べるという習慣は物心がついてからずっと続いています。海外添乗の仕事は本来年末年始は繁忙期でしたがが、私は年末とお正月だけは添乗には出ずに、日本でというスタンスでずっと来ました。
昨日も家族が一同に会して、昼と夜に渡って宴会が続きました。そして今日1月2日は、亡き父を思い出して、夜はぼったら焼きを久々に食べました。小さい時は必ず冬になると父と我が家で「ぼったら焼き」を食べていました。
ぼったら焼きは、いまではもんじゃ焼きとして有名ですが、実はもんじゃ焼きとは少し違うのです。つまりもっと庶民的なもの。私が小学生の頃は駄菓子屋さんと併設で大きな鉄板のテーブルがあって、子供たちがお小遣いを握りしめてぼったら屋さんに行ったものです。
僅か20円から30円くらいだったと思います。もんじゃ焼きのように豪華ではなく、キャベツも少なく、切り以下と桜エビがほんの少しだけ入っていました。卵は別料金でした。
父と私はこのぼったら焼きが大好きで七輪でよく一緒に食べたものでした。そしてお正月だけ許された麻雀と、父を思い出し、久々のぼったら焼きは最高でした。私の過去の記憶の中では生き続けていますが、もうこのぼったら焼きは存在しません。
子供の頃の父は非常に厳格で、仕事も忙しく、家にはほとんどいない昔ながらの日本男性でした。でもぼったら焼きだけは二人は大好きで、なぜか一緒に食べたホットな思い出が残っているのです。そう、母は全くぼったら焼きには全く興味を示しませんでした。ですから子供の頃は、こっそりと母の目を盗んで1人でぼったら屋さんに通いつめたものでした。