三和 導代 です。
先週末に訪れた秋田県の天日宮(唐松神社)には古くから秋田物部氏の記録「物部文書」が伝承されています。
物部氏の始祖であるニギハヤヒは天の鳥船に乗り、鳥海山を目指し天降りした後、船で雄物川を遡り、雄物川の支流である逆合い川(淀川)をさらに遡上して日殿山(現在の秋田県協和町の境地区)に「火の宮」(本拠地)を置いたとい記されているそうです。
「物部文書」によるとニギハヤヒは長くこの地に住み、神祭りの御式または呪いの術、医術、また十種の神宝、物部文字、造船技術、武術などを持っていました。
物部文書ではいくつかの神代文字で書かれており、アヒル草文字も見られます。とても興味深い文献です。
さあてこの唐松神社の参道には無数の杉の木の大木がそびえています。その参道奥を降りたところに唐松神社の社殿が建てられています。つまり低地に鎮座されているという珍しい社殿、つまり物部氏が当時の大和朝廷の敗北者という意味合いでこのような待遇に追いやられたのかもしれません。
しかし参道左手に行きますと、水を石に囲まれた別天地のよう素晴らしい天日宮が見えた時には、思わず声が出てしまうほどでした。天空からやってこられニギハヤヒをお祀りする東北のでした隠された神社でした。そして神社を後に、悠々しい雄物川とピラミッドへ。非常に感慨深い旅の終わりでありました。
これからも東北地方の旅が続きます。