恵那市山岡の磐座 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日は岐阜県恵那市山岡町の磐座群を案内していただきました。ご案内人は地元にお住まいの長谷川さんでもう20年以上も無償でこの磐座群を調査されている方です。

 

超古代の日本人は磐座信仰でありました。現在の神社のようなお宮は後の時代の新しい神道であります。超古代の人々は磐座を通して宇宙の人々と交信していました。

 

そんな磐座が日本にはまだまだたくさん残っています。岐阜県の位山は竹内文書を研究していますのでもちろん巨石群の存在を知ってましたが、この山岡の巨大な磐座群には本当に驚きました。

 

昨日は2つある中で1つのモアイ像に案内していただきました。今年の1月にイースター島のモアイ群を見てきましたので本当に感激です。この日本のモアイとイースター島のモアイを比較しますと、大きな夢が広がってきます。

 

男根石、女陰石、石舞台、ピラミッド、雨乞いの龍神磐等、山奥には縄文時代の巨石がゴロゴロそのまま残っているのです。