コシャマイン慰霊祭 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

北海道桧山郡上ノ国町夷王山山頂にて1993年より、毎年開催されているコシャマイン慰霊祭に参列しました。

 

この慰霊祭を知りましたのが終日前の水曜日、東京の八重洲口にあるアイヌ文化振興・研究機構に設置されていましたチラシでした。

 

本当に急なお話でしたが、今日実現することができました。

 

1993年以来毎年7月の第1週の土曜日に開催されているこのコシャマイン慰霊祭は今年で第24回を迎えました。

 

松前藩「新羅の記録」に記されたアイヌ民族と和人との初めての大きな戦いは移住の和人地が広がりを見せ始めた道南で、1457年先端が開かれました。

 

コシャマイン率いるアイヌ民族は当時、道南にあった和人の館を次々陥落させましたが、武将武田信広によってコシャマイン父子が殺されたことで戦いは終わりました。

 

これまでは松前藩始祖となる武田信広を奉った八幡社のまつりだけがありましたが、先住していたアイヌ式のまつりが、500年を経て、1993年国連の「先住民の10年」の最初の年に始めた以来続くアイヌ式の祈が捧げられています。

 

今日は開催前は霧に包まれ霧雨の天候でしたが、儀式が始まると同時に霧雨がすっかりあがり、儀式の途中からは霧も晴れ、眼下には素晴らしい眺望が広がりました。

 

アイヌ民族のご先祖様がお喜びになられたのだと思います。私も一緒に先祖供養をさせていただきました。

 

アイヌ民族楽器の演奏、舞踊、そして最後は参加者が輪となって踊りました。

 

日本の先住民であるアイヌ民族に敬意をこめて