アルマティに到着 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

カザフサタンに到着しました。今日は以前から知り合いの中国の新疆ウイグル自治区出身のカザフ人、ムラティとジャナルです。お二人とも日本に10年滞在の親日家です。

さてお二人の生まれ育った中国の新疆ウイグル自治区の首都であるイーニンの地から60kmの場所にはやはヤマトと呼ばれる地がありました。これはウイグル語でヤマト、カザフ語でジャマトと呼ばれるウランが採取される場だそうです。

やはり秦一族がイスラエルから東へ移り住んだ場所がヤマトというのはこの地であったかと思います。この後に日本に到着、そして日本人となっていきます。その地が日本のヤマトであったかもしれません。

私をお迎え頂いたご夫妻、富山大学で学ばれました。そう、皇祖皇太神宮のある場所です。息子さんも日本語が堪能、お父様譲りのミュージシャンですが、知能指数も非常に高く、私もガイドしていただきましたが、学生ながら非常に優秀な青年です。

1週間前に突然ですが、国費留学生として中國の青島大学に留学しました。決断力も抜群です。また再開できることを楽しみにしています。