弓月国と雅馬図(ヤマト) | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

来週早々にカザフスタンのアルマティに出発です。
カザフスタンに近い中国・新疆ウイグル自治区北西部の「弓月国」のイリ川が流れる地にヤマト(雅馬図)という地名があるそうです。日本に帰化した秦氏はかつてこのあたりに住んでいたそうです。
この弓月国は初代キリスト国だったようですが、漢民族の多くと違って、非常に和やかな人たちでした。イスラエルの地を離れ、ユダヤ教からキリスト教に改宗した秦一族(イスラエル人との混血、月氏)や弓月の人々がこの地に居住、その後何かの理由で東方の地である日本へ向かっいました。そして日本渡来、自分が居住していた地のヤマトという地名を日本の地に名付けたというものです。

今回はかつての弓月国のあった中国とカザフスタンの国境近くを流れるイリ川が流れる国立公園に滞在し、秦氏の足跡を探りたいと思います。