秦氏の故郷は中央アジアのカザフスタン? | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

今日は6月の初日です。ユダヤ人と日本人の関係がまた気になってきました。

中央アジアはイスラエルと中国を結ぶシルクロードの中継地点です。この中のカザフスタン、そしてキルギスを再訪するにあたって調べていくうにとても興味深い情報に出合いました。

現在の中央アジアのカザフスタン領にある現在の地図には表記がありませんが、カザフ共和国東南部、キルギス共和国、天山山脈の北麓の地を昔はクルジアといい「弓月城」とも呼ばれていました。

以前に1度だけ面識がありますが、クリスチャンでありユダヤ人と日本人との関係を長年探っている久保有政氏の論説によれば秦氏の故郷はこの弓月(クンユエ)であります。そしてこの地に「ヤマトウ」と言う地名があり、この語源は現在の大和(ヤマト)となったとのことです。

確かにカザフスアン、キルギスの人々の顔は日本人そっくり、また蒙古斑もあり、キルギス語は日本語とそっくりの単語が沢山存在します。

6月はキルギス、9月はカザフスタン、10月はイスラエルを訪問する予定です。なぜか今、目白押しに私にチャンスが巡ってきています。様々な情報はもとより、自分自身の視点、直感で接することができることを感謝しています。