秦の始皇帝と万里の長城 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

北京の郊外から紀元前7世紀に北方民族の侵入に備えて造られた城壁を、紀元前3世紀に秦の始皇帝がつなぎ合わせたものであるといわれています。

西端の甘粛省の嘉峪関まで全長21,196.18kmと2012年に中国政府より発表されています。

秦の始皇帝が建設した「万里の長城」と認識されていますが、現存の「万里の長城」の大部分は明の時代に修理して作られたものです。

それにしても大きなスケールです。始皇帝でなければこんな広大な発想はなかったでしょう。外敵から守る城壁としての建設、小さな島国の日本にとってはとても考えられない防衛対策です。

嘉峪関は万里の長城の西端です。1372年に築かれた高さ11mの城壁に囲まれた要塞です。  2つの門と門の上には3重の楼閣が建っています。万里の長城の最西端、そしてシルクロードの古くから東西交通路の要害の地でありました。

全てが変わってしまった嘉峪関は今どのように変化しているでしょうか。かつて訪れた20年以上前の嘉峪関の姿は今はもうないのでしょうか。