言ってることがズレまくってる、設定にかかわる論争。 | 総見人のズレズレなるブログ

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総見人による斜め読みばかりな、ゲームへのひとり言。

 トレンドなんとなく見てたら…。Fateの設定というか世界観とかに批判が入ってるのでなんだろう?と思ったら、指輪物語の原作との対比とか、それに比較してアーサー王の伝説や物語とFateが…という趣旨らしい。

 

 まず、味気ないことを言うとこの手の問題は

 

人気が出て、普遍的な要素を無視できないトコまで来た

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ということがある。これはこれで作品が広く認められた証拠なので、悪いことばかりじゃない。その関係で、映画などで起用されるキャストの問題って実際にある。これは私も感じていた事なので、バランスをとるというのは原作がそうであっても、より多くの人たちに見てもらう過程で必要な措置だと思います。

 

 実際、逆に原作では人種がコレだったのに映画では映えることを想定してほかの人種のキャスト当てちゃったり、とかあったからね。そういう意味では、原作に忠実から、

 

たとえ原作ではそうであっても、商業化に載せるなら調整は要求される

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ようになった。それは社会の進歩だと思う。

 

 一方、それが行き過ぎという時もある。それが、


ただ単にバランスが悪いことだけで差別扱いにしてしまうこと

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でしょうね。

 

 例えば、ストーリー上特定の人種のキャラクターじゃないと整合性が取れないとする。それなのに、無理にキャストとして少なすぎるので変えます、となったらどうなるのか。そうなると物語としての説得力が減ってしまい、下手すると原作でのテーマ性から外れてしまうことにもなりかねない。そういうことまで許容していたら、それこそクリエイティブな創作なのに忖度によって劣化するだけ。そんなの、見たいですか?となる。私はこういう点については愚策だとしか思わない。

 

 Fateシリーズというか、StayNightがはしりなのでそこだけにフォーカスすると…。まず、アルトリアの創作は

 

同人として作る際に、設定として作られた

だけ。それに尽きます。その時の意図なんて、商売にまでできる!と想定して奈須さんや武内さんがやっていたとはインタビュー見る限り、なかった。

 

 むしろ

 

ウケるし、映えるし、好きだから

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というローカルなところから生まれたのがアルトリアでしょう。それに加え、奈須さんの才能がのっかったからこそ、今多くの人たちが楽しめてる。今だと、アルトリアのビジュアルやキャラクターとして印象からファンになった人もいるでしょうが…

 

そうはいっても、やはり物語としての質が高い

からファンがいてくれる。私は、そう解釈しています。自身もそうだからね。

 

 したがって、ここでいきなりヒヨってアルトリアが実際のアーサー王の人種的特徴とかに立ち返って変えたとしても…単純に人気なくなるだけだと思うよ。そもそも、女性にキャラ変更してる時点でアーサー王の伝説についてあくまで!

 

ある部分を拝借している

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というのがハッキリしてる。これは、Fateシリーズ見ていれば分かるけど著作権が発生しない伝説や説話から空白部分をアレンジしてFateの世界観に組み込んでいる手法そのもの。割合としてはその濃淡はあるだろうけど、作り上げたFateの世界観という土台は、これまで紡ぎあげてきた物語全体の整合性のおかげ。そこを、奈須さんはじめとするスタッフたちが労力をかけてまとめ上げてくれる。

 

 実際、ストーリーを見てても丁寧にフラグ立てては回収とか、過去の設定を丁寧に扱ってる。え、ここで?という過去のネタを拾ってきたりするのも楽しみの一つ。それ位、すでに世界観として出来上がったものがあると思う。ファンなので、ゲタ履かせてる!と言われればそうですけど。(苦笑)

 

 なので、指輪物語でのキャスト変更とFateとは事情が全く違います。同じ扱いで言ってる人は、Fateのことをよく知らないと自分から言ってるようなモン。キャストのビジュアルや人種、背景を忖度して変えるということはFateでは無いでしょうね。そんなこといったら、歴史上は男性とハッキリしているのに女性にしちゃってるのを全部男性に戻さないといけないじゃん。この時点で、

 

女性に仕立て上げるにあたり、どうやって設定に説得力を持たせるか

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自体を創作側も、ファンも楽しんでるトコがある。オイオイ、と突っ込みながらも楽しくやってるんだよ。そういう創作とファンの共同作業的な意識も、全くわかってないと個人的には思いましたね。Fateのあえてのゆるさ、もね。

いぢょー。