最首悟さん、栗原彬さん
と、土曜日から立て続けに最終講義に出かけた。
お二人とも、もう70歳かと思うと、ため息が出る思いであった。
もちろん自分の年のことも考えて。
お二人の最終講義は、<水俣>、「全共闘」と重なるところもあり、
どちらも非常に心に響くものであった。
本当ならば、この秋の和光大学水俣展で、このお二人はお話になられる
予定だったのですが、栗原さんが心臓病で倒れられたため、
急遽中止になるという因縁もありました。
それぞれの広義のレジメのようなことを書いてもいいのですが、
ここではよしましょう。ご覧になられたい方は、mixiの僕の日記や
そこからたどれるところで、御高覧下さい。
簡単なものですが、掲載してあります。
(全体には公開されていませんが、どさんの日記には、かなり詳しく書かれています)
残念だったのは、その間に原稿の締め切りなどが入ったり、病院に行ったりして
お酒を飲めなかったことと最後の最後まではおつき合いできなかったことでした。
酒が飲めるだけが取り柄の不肖の弟子なのに、何とまぁというところでした。
それでも、古くからの友人達に久しぶりに会えて、忙しくはありましたが、
楽しい時間でもありました。
極私的な文章で申し訳ありませんでした。
竹村洋介@浮浪思想家
お二人とも、もう70歳かと思うと、ため息が出る思いであった。
もちろん自分の年のことも考えて。
お二人の最終講義は、<水俣>、「全共闘」と重なるところもあり、
どちらも非常に心に響くものであった。
本当ならば、この秋の和光大学水俣展で、このお二人はお話になられる
予定だったのですが、栗原さんが心臓病で倒れられたため、
急遽中止になるという因縁もありました。
それぞれの広義のレジメのようなことを書いてもいいのですが、
ここではよしましょう。ご覧になられたい方は、mixiの僕の日記や
そこからたどれるところで、御高覧下さい。
簡単なものですが、掲載してあります。
(全体には公開されていませんが、どさんの日記には、かなり詳しく書かれています)
残念だったのは、その間に原稿の締め切りなどが入ったり、病院に行ったりして
お酒を飲めなかったことと最後の最後まではおつき合いできなかったことでした。
酒が飲めるだけが取り柄の不肖の弟子なのに、何とまぁというところでした。
それでも、古くからの友人達に久しぶりに会えて、忙しくはありましたが、
楽しい時間でもありました。
極私的な文章で申し訳ありませんでした。
竹村洋介@浮浪思想家
補足:もちろんすべて話があったわけじゃない。
塩見さんは共産主義者同盟。赤ヘル。それゆえ、共産主義者同盟と革命的共産主義者同盟をきっちり峻別する。
僕はノンセクト・ラディカル。黒へル。東大出身ゆえに革マル派をニューレフトの中で裏切り者視する。
もう4半世紀たったので時効だと思うのでばらしてしまえば、第二次東大闘争の中では第4インター
(革命的共産主義者同盟の一派、三里塚の管制塔爆破で有名)の同盟員を中心メンバーに抱え込んで
いたので、セクトかノンセクトかの違いの方が重要。
比重の置き方の違いではあるが、やはり背負ってきたキャリアのせいか、見解が微妙に異なる。
ところで、有斐閣の『社会学事典』の「新左翼」の項目の解説を書いているのは、私こと、竹村洋介でした。
(弘文堂の事典は津村喬です)。
竹村洋介@浮浪思想家
僕はノンセクト・ラディカル。黒へル。東大出身ゆえに革マル派をニューレフトの中で裏切り者視する。
もう4半世紀たったので時効だと思うのでばらしてしまえば、第二次東大闘争の中では第4インター
(革命的共産主義者同盟の一派、三里塚の管制塔爆破で有名)の同盟員を中心メンバーに抱え込んで
いたので、セクトかノンセクトかの違いの方が重要。
比重の置き方の違いではあるが、やはり背負ってきたキャリアのせいか、見解が微妙に異なる。
ところで、有斐閣の『社会学事典』の「新左翼」の項目の解説を書いているのは、私こと、竹村洋介でした。
(弘文堂の事典は津村喬です)。
竹村洋介@浮浪思想家
塩見孝也元共産主義者同盟赤軍派議長とスコラ
スコラなどと、ほぼ死語で始まりましたが、池袋の喫茶店でみっちりと3時間、それぞれの世界観、体験について語り合いました。
塩見さんは名だたる経歴をお持ちなのに、70年代後半から80年代にかけて闘った第二次東大闘争のことについても真剣に
聞いて頂けました。
もちろん話はそれだけに尽きません。ポストモダニズムをどのようにとらえるか、80年代のいわゆるニューアカに限定せず、
モダンを超克していこうという、それこそほんとうにさまざまな動き、プリカットアートの労働組合運動から、演劇・ROCK、
もちろん、僕がお世話になったあるいはなり続けている最首悟さんや見田宗介さん、(何と話はお父さんの石介さんまで
広がりました)、小坂修平さん、雨宮処凛さん、保坂展人さんなどすごく広まりをもって話を続けることができました。
外国の思想家ではフーコー、ネグリ、ブルデューと、年代も、経験も(関西系という共通点はありますが)異なる二人ですが、
互いに学びあう点が多々あったと信じています。
それであっという間に3時間。喫茶店が閉店するので別れましたが、考えてみると、平野悠さんや寺山修司さんのことを
はじめとして、まだまだ話したりない思いが後になってこみ上げてきました。
もちろん話はパトリにもおよび、日本社会は経済的には突出しているけれど、政治セクターが不在だと塩見さん。
世界的な広がりをもった政治セクター(セクトではない)が必要だと強調されました。
僕はそのためには、世界的な広がり、障害者をも含めるような広がりをもつ文化的セクターが前提になるのではと
逆質問をしました。別にぶつかり合っているわけではありません。
互いに違ったキャリアを、歩み続けてきて、今を同状況判断し、どう動くべきか。互いに参考になったことがあると思います。
久しぶりに非常に密度の濃い時間を過ごした思いがしました。
竹村洋介@浮浪思想家
塩見さんは名だたる経歴をお持ちなのに、70年代後半から80年代にかけて闘った第二次東大闘争のことについても真剣に
聞いて頂けました。
もちろん話はそれだけに尽きません。ポストモダニズムをどのようにとらえるか、80年代のいわゆるニューアカに限定せず、
モダンを超克していこうという、それこそほんとうにさまざまな動き、プリカットアートの労働組合運動から、演劇・ROCK、
もちろん、僕がお世話になったあるいはなり続けている最首悟さんや見田宗介さん、(何と話はお父さんの石介さんまで
広がりました)、小坂修平さん、雨宮処凛さん、保坂展人さんなどすごく広まりをもって話を続けることができました。
外国の思想家ではフーコー、ネグリ、ブルデューと、年代も、経験も(関西系という共通点はありますが)異なる二人ですが、
互いに学びあう点が多々あったと信じています。
それであっという間に3時間。喫茶店が閉店するので別れましたが、考えてみると、平野悠さんや寺山修司さんのことを
はじめとして、まだまだ話したりない思いが後になってこみ上げてきました。
もちろん話はパトリにもおよび、日本社会は経済的には突出しているけれど、政治セクターが不在だと塩見さん。
世界的な広がりをもった政治セクター(セクトではない)が必要だと強調されました。
僕はそのためには、世界的な広がり、障害者をも含めるような広がりをもつ文化的セクターが前提になるのではと
逆質問をしました。別にぶつかり合っているわけではありません。
互いに違ったキャリアを、歩み続けてきて、今を同状況判断し、どう動くべきか。互いに参考になったことがあると思います。
久しぶりに非常に密度の濃い時間を過ごした思いがしました。
竹村洋介@浮浪思想家
