PTA活動も4年目を迎え、
翌年の4月をもって退任する年の初秋。
先輩の民生・児童委員さんと
なぜか偶然よくお会いする日が多くなり、
しかし気にも留めずに普通に
ご挨拶していたある日。
「竹本さん、ちょっといい?」
「なにか?」
「実は私、今期で民生・児童委員を辞めようと思ってるんだけど」
「ああ、それは大役をお疲れ様でした。」
「そこでお願いがあるんだけど・・・」
「・・・どきっ!」
「民生委員の後任をおねが 『無理です!』 」
「そんなに大変じゃないから『無理です!!』 」
「PTAより楽だとおも『無理でっす!!!』 」
というエンドレスな依頼と拒否が始まりました。
ひと月ぐらい続いたでしょうか、
後に政治家を目指すきっかけの
きっかけとなる人物である町会長さんが
「誰かがやらなくちゃいけないんだ・・・どうだ?」
というお声を頂き、後任となる事が決まりました。
この後、民生・児童委員の推薦委員会というものが開かれ、
PTA会長も委員なので出席したところ、
満場一致で「竹本としあき君」を推薦する!
という自分で自分を推薦するという出来事も
付け加えておきましょう。
そして、就任一日目。
早速の相談が寄せられました。
・・・続く