政治家を目指すきっかけ・弐 | 竹本としあき 葛飾・新小岩だより

竹本としあき 葛飾・新小岩だより

日々の暮らしの中で感じた事、思う事を発信します。

民生・児童委員とは

 

大正6年5月に岡山県で

済世顧問制度というもの設置されたのが

始まりとなっています。

 

職務の範囲は、

高齢者福祉、障がい者福祉、児童福祉から

育児支援、生活支援、各種調査、報告、研修など

多岐にわたり、

地域住民からの相談を受け付けます。

 

 

さて、就任すぐに支援相談を受けた方は、

生活困窮でお困りの方でした。

 

年末の糧食にも事欠くということで

行政にもつないだのですが、

保護費の管理が甘い方で

計画的に生活出来ないということで、

なかなかシビアな対応を受け、

それでも面談を重ねました。

 

生活も乱れがちで

トラブルをいろいろ起こし、

結構長いお付き合いをさせて頂いたのですが、

ある日警察から電話があり、

お亡くなりになられたとの知らせを受けました。

 

いわゆる孤独死。

 

この出来事は、私の中で、

かなりショックな出来事で、

地域での支援の限界を感じました。

 

その後も認知症の方への支援や、

精神的な障がいにお悩みの方への支援、等々、

社会弱者と言われる方々とのふれあいを通じて

考えなくてはいけない事、

やらなくてはいけない事が朧気に見えて来ました。

 

そして2年がたった頃。

 

町会もやってみないか?

 

件の町会長さんからのお誘いです。

 

民生・児童委員を続けながら、

”町会の活動をすることで

地域支援の幅が広がるかもしれない・・・”

と頭では思っているのですが、

なかなか一歩が踏み出せずにいました。

 

当時、

町会は防災活動に熱心に取り組んでおり、

その中での救援活動で

高齢者、乳幼児、障がい者の方々をどうするか

と言った事が課題の一つとしてあがっていました。

 

人命尊重の観点からの情報共有ということで

 

民生・児童委員が、町会役員になる事は、

かなり有用である。”

 

というお話も聞き、

かなり思い切って町会役員をやらせて頂くことになりました。

 

次回、防災編へ続く・・・