どうすれば、自由自在に書けるようになるか | 書法家 武田双鳳の「そうほう録」

書法家 武田双鳳の「そうほう録」

「書で人生を豊かにする」をテーマに、日々のオモシロさを探求する書法家・武田双鳳の日記

ドライバーのように捻ったり、彫刻刀のように削ったり、錐のように刺し込んだり・・・

 

「コトとしての筆」(筆づかい、筆法)は、時代が下るにつれて「万能化」していくものです。

 

※下の写真は、印刀で抉るようなタッチが特徴的な、呉昌碩の筆法を解説しているところ。

 

 

どうやったら、「筆の万能性」を引き出すことができるのでしょう。

 

筆の万能性を引き出せば引き出すほど線表現が豊穣化し、多種多様な造形美を生み出していくことができますから、書生にとっては大切な問いでしょう。

 

 

やれ、何枚も書き込め~、やれ、繰り返し練習せよ~と、頑張りや努力に頼りたくなるものですが、それだけでは、筆の万能性は、なかなかに引き出ていません。

 

それどころか、「無理」(理が無い)な練習を繰り返してしまうと、本来の筆の性能ですら引っ込んでしまいかねません。

 

 

もちろん、書き込みや反復練習も必要ですが、「前提」が欠けてしまえば、出汁を入れ忘れた料理のように、どれだけ煮込んでも

美味しくならないものです。

 

 

筆法のベースとなる「古典」は、現代令和の僕らのように、指先一つでお湯が沸くような、便利な時代に書かれたものではありません。

 

洗濯機や湯沸かし器もない(今からすれば)不便な時代、日常生活の中で占める「身体性の役割」が大きかった時代に書かれたものです。

 

 

試しに、生徒たちに尋ねてみれば、「日常において、四つん這いになることは、ほぼゼロですよ」。

 

そもそも、書の古典は、「健やかに四つん這いができる身体がある」(≒足腰背中の力が筆先の通る)という身体状況(前提)で、その表現が生み出されていますから、

 

やはり、現代の書道の稽古においては、「書かない書の稽古」(前提を養生する稽古)は、必要不可欠です。

 

 

便利さが身体性を奪っていく面はありますが、その一方で、便利さが身体性を養ってくれることだってあります。

 

 

幸いなことに、書法道場には、たのしく身体性を引き出してくれる便利なアイテムが用意されています。

 

「たったそれだけで、あっ!」という驚きの頃、今朝の稽古でもいただけました。

 

≪武田双鳳の書法道場≫

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