髪の毛で書いたり、壁面に大書を揮毫したり・・・と、「誰もやったことがない」と思いきや、さがに書の歴史は長いものです。
毛髪書も壁書も、遙か昔(唐代)に、狂草家(張旭や懐素など)が行っていたことが記録されています。
誰もやったことがないは、書の世界においては、ほぼ勘違い。長い書の歴史の中で、人間が思いつくようなことは、ほぼやりつされています。
もちろん、書で「誰もやったことがない書を」という意欲ある生徒も支援していますが、まずは、本当に誰もやったことがないのか、しっかりと歴史に学ぶことをすすめています。
俵屋宗達が描いた国宝「風神雷神図屏風」(京都・建仁寺蔵)を、尾形光琳がトレースしたように、
本来の書というものは、誰もやったことがないことをやる「差異型のオリジナリティ」ではなく、受け継がれてきた知恵や技法を活かす「積み重ね型のオリジナルティ」を目指していくものなのでしょう。
SNSのショート動画のように、誰もやったことないことを目指すのは、まさに、お門違いなのかもしれません。
自分の短い人生の中でオリジナルを探よりも、三千年の書の歴史の中でオリジナルを探す方が、圧倒的に確率は高く、効率もいい。書の歴史は常に自分の想像を超えるものだから、なんといっても面白い。
今月の書法道場の稽古では、篆書は呉熙載(譲之)に、隷書は伊秉綬に、楷書は欧陽詢に、仮名は高野切に「オリジナル」を学んでいます。
呉熙載の宛転自在な筆運び、伊秉綬の幾何学的な造形美、欧陽詢の筆毫の刻具化、高野切による和の文化の確立・・・歴史が、今までの自分にはなかった「オリジナル」を、惜しげもなくプレゼントをしてくれています。
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