令和の書道は「四つん這い」から | 書法家 武田双鳳の「そうほう録」

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「書で人生を豊かにする」をテーマに、日々のオモシロさを探求する書法家・武田双鳳の日記

身体性が乏しくなりゆく現代令和の僕らにとって、「書かない稽古の必要性」は、ますます大きくなっています。

 

 

やはり、マスクの着用は身体性を阻害し、稽古の質を低下させます。そもそも、表情を覆い隠したままでは、本来の教育は実現不可能です。

 

「マスクを外さなくていいよ」は、やさしさではありません。明らかなる責任放棄、教育者としての職務放棄です。

 

マスクを外すよう張り紙をしたり、マスク着用のデメリットを説明したりして、外せない生徒さんについても、なんとか、顎マスクまでもっていきました。

 

小学生にとってみれば、全員素顔の教室がよっぽど嬉しいのか、みんな、いつも以上にイキイキとしていました。

 

 

記憶することも、立派な書の稽古です。特に、「永字八法」のレバレッジ効果は大きく、「永の字に内包する筆法をマスターすれば万の字に通じる」というのは、あながち大げさではないように思います。

 

 

それぞれの書き方には、「クセ」があります。もちろん、当然のことで、全てを直す必要はなく、それどころか、「個性」(らしさ)として尊重すべきものもあります。

 

しかし、書き方に現われる「クセ」が、(いびつな)「偏り」であれば、その子の成長を阻害し、せっかくの個性が芽生えない恐れがあります。そういったところについては、細やかに、様々な方法でアプローチをしていきます。

 

 

大人の生徒さんも、書き方の前提としての「身体の置き方」を整える稽古を丁寧にします。入会したばかりの生徒さんから、「いままでにない筋肉痛がして、こんなところに筋肉があったのかと驚いています」とのコメントが。

 

書法道場で行う「書かない稽古」としての体操(ヒモトレやバランストレーニング)は、筋トレのように「鍛える」というものではありません。

 

あくまでも「書」の一環であり、「大地のエネルギーが筆先に通る身体性」(全身性、透過性など)を引き出すものです。

 

その過程で、身体の「使いすぎ(使わなすぎ)」という「偏り」が解消されることによって、結果として、使わなすぎていた箇所が刺激され、時には筋肉痛として現れることはあるでしょう。

 

「手書き」の「手」は、決して「手先」ではありません。あくまでの、「全身性に基づく手」なのです。日下部鳴鶴の廻腕法のように手腕を固定したとしても、足腰背中を含む「手」が自由自在な運筆をもたらせてくれます。

 

 

椅子に座って「書」するためには、前提として、「四つん這いで書ける身体」が必要です。

 

現代生活では四つん這い(その前提として蹲踞)の動作が失われていますので、書道の稽古としては、その機会を積極的に設けなければなりません。

 

大地のエネルギーが筆先に通るカラダ。それがあるからこそ、王羲之や顔真卿などの古典臨書学習を深めることができ、自分の書を健やかに育むことができるのです。

 

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