今日は一日、引き籠って撮影。45本程度の動画を、オンラインサロンメンバーの皆さんに配信する準備をしていました。
忙しくて、コメダにいってもサラダのみだったので、落ち着いたら、シロノワールをしにいこうと思います。
来月から中学生は行書課題がスタートします。ピカピカの中一、我が家の次男も、初チャレンジです。
現在、利き手(左腕)を骨折していますが、習字は右手で書くので、なんとか行書を体験できそうです。
一口に行書といっても様々なものがありますが、大きくは「初唐前の行書」と「初唐後の行書」に区別できます。
初唐前の行書は、アルカイックな「二折法」(二過折)。対して、楷書完成後(初唐後)の行書は、「三折法」を内包しています(行草書の三折法化、盛唐の李邕「李思訓碑」、中唐の懐素「自叙帖」など)。
西暦650年頃、初唐の「雁塔聖教序」の後は、折法(リズム法)が相対化していき、二折法か三折法かの区別は意味をなさなくなっていきます(北宋の黄庭堅「松風閣詩巻」の多折法、元の趙孟頫「玄妙観重修三門記」による折法の相対化参照)。
しかも、「初唐後の行書」は、作者性が全面に出てきますので、書き手の個性が強く、初心者や中学生にとっては手本(規範)とはしにくい。
そこで、当道場では、手本にしやすい「匿名」の時代の行書、つまり、「初唐前の行書」を、まずは学ぶことにしています。
孫過庭「書譜」のように、「三折法」が確立した後でも、なお、古法たる二折法を作為感なく書くことは、令和に生きる僕らにとっては大変困難です。
ただ、教育書道という観点からは、単純化しすぎることを恐れつつ、まずは「楷書=三折法」(人工法)と「行書=二折法」(自然法)の「二分法」で仕分けするほうがよいと考えています(法律を教えるときも、「規制目的二分論」など、単純化した方が伝わりやすいときがあります)。
初めて行書を学ぶ人に、どのように教えるべきか。「確信」とは書きましたが、いまだに、確信はできません。また、冷や汗をかきながら、とにかく「行書のオモシロさ」を伝えていけたらなぁと思います。
●通学書法道場・体験入会→人数を絞りつつ、受け付けています。
●オンラインコース書法道場・お試し→若干名募集しています。