現実逃避の裏側に隠された真実(不自然な努力は元々実らない)リライト版 | 未来を少しづつ変えていく日記

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今日の一日が未来の自分を作る

人と関わり人に興味を持つ時期が過去の課題とすれば

 

今の自分は人の課題はさほどなくなってしまったんだろうと思う。

 

飲食接客業、営業セールス、雑貨店、飲食店等 色んな人と関わる仕事をして行きついた答え!

 

それは「釣り」と「自然」に到達した感じかな??

 

中国のことわざでこんな言葉がある

 

「一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。」
「一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい。」
「一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい。」
「一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。」
「一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい。」

 

多分これは人生の経験の過程の気づきの様に思える

 

人は何かを教えられこの社会でなにか責任や目的を果たそうとする時期がある。

 

しかし それも経験すれば、目的を達成する動機が少なくなっていく、そこに苦しみが生まれ考えた結果

 

生きてるということは、何かを達成しなくてはならない呪縛から脱却する段階を乗り越える時期がある。

 

欲求を煽る洪水の情報があったとしても、「ただ生きる」この境地こそ実は幸せの境地と繋がる入口かと最近思えるようになった。

 

自然の中に出かけて釣り竿を出し、空、海、小川のせせらぎを感じる、気持ちのいいこと極まりなし

 

「釣りは男が淋しさなしに孤独でいることができる地上に残された僅かな場所の一つでもある。」  

 

そこに行くと釣り以外の事にであう、昨日は野生のタヌキがお座りして魚を待っている姿や地元の人たちとの会話がある、これも1人でいくからこそ味わえる「偶然の出来事」で、そこを楽しめる感覚は「直感力」を楽しめる事にも繋がってる様に思える。

 

人は最初、義務教育から社会で学ぶ事が多い、このまま人生を終える場合が多い、実はほどんど疑いもなくその力を使い幕を閉じる。違う気づきでの偶然の力にもし気づく機会に出会えた人はその力を育ててほしいと切におもう今日この頃である。

 

何故なら、意図的な努力こそが命に対して不自然で自然な流れに出会うことが命を生きるという事に繋がっていく

 

これは今無理にわからなくてもいい、でも死ぬ前にきっとわかる事の様に感じるのである。 

 

不自然な努力は元々実らない様に出来ているし無理という形で揺り戻しがおこったりする、それでもメンタルでねじ伏せたとき!

 

死ぬときに後悔というより素直に生きれなかった分だけ大きなやってなかった想いや素直になれなかった想いに出会ってしまうらしい。

 

恐らく 社会性や常識やお金は 幸福とは別のものだということが死ぬ間際に閃光のようにやってくるのかもしれない。

 

「お・・俺は間違ってた」とメンタルの強い人は理解して涙をながし未練を残しこの世を去るのである。一番恐ろしいことかもしれない。

 

自分の記事の内容はよくあるお金を稼いだり手に入れたりするノウハウとは全く相反する内容だと思っています。

ウエイトと重きの基本は お金 > 命 の記事ではなく 命の気づきを得る為、もしくは生を本気で全うしたい人々の為に役立つ記事になれば幸いです。命を本気に大切になる内容を学ぶ時期ですが、大病を患った時や余命が確定したときに本気で命に向き合う転機になるのですが、できれば今の状態でも命に関して気づきを得てほしい想いで記事を書いています。