安倍総理辞任で思うこと。 | ほいみんの のんびり日記

ほいみんの のんびり日記

人生は旅である。誰もが言っているつまらない言葉だけど
本当なんだからしょうがない。

安倍政権の8年間で明確になったのは、バブル崩壊後の日本の衰退に合わせて、政治が「商売」としてのうまみを無くしクリーンになってゆく過程で、「敵」を失い取り残されて行き場のなくなったメディアが逆に自身の商売を維持するために腐敗し、暴走した結果、存在価値を失ってしまった事だと思う。

 

ネット文化の成熟で、国民の多くがメディアは実は真実を何も伝えていない事に気が付いてしまった。それまではTVと新聞だけがほぼすべての情報源だった国民は、自身で情報を検証できるようになり、メディアの「嘘」に気が付き離れて行った。

 

「既得権益」を維持したいメディアは、今も残るコントロールがたやすい情報弱者を多数派のように装い、自分たちが正義であると勘違いさせ、今はもう存在しない「敵」を捏造し、その敵を攻撃することで自身の価値を維持することが第一の目的になり果ててしまった。もはや存在する価値も意義も認められない。(悪い見本として以外には)。

 

少しずつ進んでいたこの流れが、安定していた安倍政権ゆえに急速に進行し、(メディアの中の人たち自身も気が付いていたとは思うが)一線を越えてしまい、もはや後戻りはできない所まで進んでしまった。

 

この先どうなるかはわからないが、知ってしまった国民はもう忘れることはないので、一度壊さない限り旧来のメディアが価値を取り戻すことはないと思う。

 

実際、戦後~高度成長期の政治家は現在とは比較にならないほど「黒」かったのは想像に難くなく、その闇を暴くという意味においてはメディアの強引な手法、場合によってはある程度の憶測、想像に基づく捏造などという事も必要であったのかもしれない(かもと言っているだけで必要だったとは言っていない)。

 

しかし、隠している黒を暴くのにメディアは必要だったかも知れないが、白に無理やり色を付ける役割など誰も求めていないし、害でしかない。

 

知識は全くないが人を惹きつける(ある意味騙す)能力に長けている「芸人」を動員して国家を混乱に陥れる役割など世の中に必要ないのだ。それはジャーナリズムではなくごく一部の人向けのエンターテイメントでしかない。

 

メディアに踊らされ、自身の問題を政権に転化してごまかしていた人たちは、これからゆっくり時間をかけて、己の不甲斐なさは己自身に起因するものだったという事を思い知らされるターンがやってくるだろう。

 

あるいは永遠に気が付かず(ないしは気が付かない振りをして)、そのまま一生を終えるのかもしれない。過去に何度もあった気が付くチャンスを逃しているのだから。それはそれで「幸せ」な人生だろうから、本人がそれでよければよいのだろう。敵は自分だったなんて認めたくないし、知らない方が幸せかもしれないから。

 

コロナと米中という波乱要素はあるが、とりあえず今は総理が変わるだけなので、しばらくは「変化」は小さく、平穏な時間が訪れるかもしれない。しかし、時間の経過と共に、この8年間は特別な時代だったと認識されるようになると思う。

 

リーマンショックと東日本大震災で行き詰まった日本を立て直したのは間違いなく安倍総理である。あの最悪の民主党政権の次であれば誰が総理大臣になってもある程度は立て直せるだろうという事は置いておいても、死に体だった日本において、恵まれた環境に気づかず不満だけを日々垂れ流している国民をここまで導いてくれた事にただただ感謝したい。

 

また不死鳥のごとく復活していただける日をひそかに期待しつつ、今はゆっくりと体を休めてほしいと思う。