ほいみんの のんびり日記

ほいみんの のんびり日記

人生は旅である。誰もが言っているつまらない言葉だけど
本当なんだからしょうがない。


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去年12月に予定していたエジプトがフライトキャンセルになってしまって間が空きましたが、今月はメキシコに行ってきました。

 

目的地に理由があったわけではなく、マイレージでビジネスクラス、しかも数カ月前でもチケットがとれる直行便という条件で探して合致したのがここでした。今、マイレージでなかなか取れないんですよね。消化するのは海外航空券が圧倒的に有利ですし、行きたい場所自体はたくさんあるので、できるだけビジネスの航空券で消化したいところではあります。

 

最初の地、メキシコシティは、遺跡以外のイメージだと「治安が悪そう」ぐらいの印象しかなかったのですが、私が宿泊した周辺は全くそんなことはなく、昼はもちろん、おそらく夜でも全然大丈夫だと思います。もちろん細い路地に入ったりしたらわかりませんが、アメリカなんかよりもむしろ歩きやすいと感じました。

 

食事は正直メキシコ料理は食べられないので、ケンタッキーが1度と、あとはすき屋でラーメンと牛丼で済ませるという「おまえいったいなにしにメキシコ行ってんじゃ?」みたいな感じですが、これはいつもの事です。

夜遅くでもものすごい人出でにぎわってました。まあでも深夜は雰囲気が怪しくて、なんとなく怖い感じもします。でも土産物屋も出てるし子供もうろついているし、きっと危険はないのだと思います。

 

2日間現地ツアーを入れていて、一日目はプエプラの町とチョルーラ遺跡を回りました。

プエプラの町はちょっと小奇麗でにぎやかな町。まだ観光客が戻り切っていないようですが、そこそこ賑わってました。

 

チョルーラは7層のピラミッドで出来ているとの事なのですが、スペイン人が壊しちゃったとか、中はエジプトのピラミッドと違って何もなくて単に積み上げただけなんだとか、とても詳しい日本人ガイドさんが教えてくれました。

上まで登れるのですが、暑いし疲れるしで断念しました。

 

外国人旅行者は戻ってきているそうなのですが、さすがにまだ日本人旅行者は少なく、ガイド業も暇のようです。

2日目は熱気球でテオティワカン遺跡を空から眺めるツアー。

カッパドキア(トルコ)以来の熱気球でちょっとビビリが入りました。案内もほぼスペイン語か早口の英語で全然わからないのでかなり苦労しました。

出発地点で続々と気球が離陸してゆくのはなかなか壮観です。

気流や天候の条件も良くて、とても爽快でした。私はかなりの高所恐怖症なのですが、下を見なければ大丈夫なんですよね。ボックスからちょっと下を覗き込むと発狂しそうになって飛び降りたくなっちゃいます。

目の前にテオティワカンのピラミッドを見ながら、ここを通り越してから着地。怖い人は怖いでしょうし、少し危険もあるでしょうからおすすめはできませんが、気球はとても楽しいです。

 

着陸後、一回戻ってからもう一回テオティワカン遺跡に行く予定だったのですが、遺跡に行かないツアーの人や、ツアー以外で飛び込みで来る人もいるようで、ごちゃごちゃになってうまく意思疎通ができず、私はそのまま帰ってきてしまいました。まあ見れたし乗れたので十分です。

 

翌日はカンクンに移動。カンクンは言わずと知れたリゾート地。一人で行って何が楽しいのか、と思われるかもしれませんが、もともとリゾートホテルでのんびりするつもりではないので、そこはあまり関係ありません。

 

ツアー1日目はピンクレイクとボートでのジャングル探検ツアー。という触れ込みでしたが、実際はジャングルではなく、八重山によくあるマングローブの海岸探索ですね。

広い海岸エリアから、川をさかのぼったりして鳥を中心にいろいろな生き物を見ることができるのですが、ここで鳥を見れるとは思ってもみなかったので良いツアーに当たりました。

 

殆どのツアーこのピンクレイクツアーは他の遺跡見学とセットになっていてボートは乗らずに弾丸で1日の大部分(8時間以上?)を移動に費やすようです。

私はそちらのツアーとセットの提案をされたのをたまたま断ったのでこのボートに乗れました。

ペリカン、多種のサギ類、フラミンゴ、鷹、シギ類、ワニ、ほんとたくさんの動物を間近で見れてとても幸せでした。

 

本命のはずのピンクレイクもまぁ悪くはないですけど、ボートの方で大満足してしまってもうお腹いっぱいでした。

翌日は、セットで行く人が多いと書いた、セノーテ(泉)とチチェン・イッツァ遺跡のツアー。大部分の工程は同じ(行き帰りそれぞれ3時間のドライブ)なので、セットで行く人が多かったようです。

ここはセノーテ・イキルという、洞窟の中にある泉で、みんな泳いでいるのですが、私はそこには興味がないので写真だけ。水はとてもきれいな色ですが、カメ泳いでるし、燕が岩場に巣を作ってたりで、実際は清潔ではないと思うんですよね。泳いでもしょうがない気がします。

 

 

チチェン・イッツァ遺跡。ここもチョルーラなどと同じく、中身があるわけではないそうです。技術的には難しい事が出来なかったとか、いろいろガイドさんに聞いてきました。

あまりに観光地化されすぎていてそこが残念ですね。

 

私はここで一人で離脱して別の車に乗って帰ったのですが、他の人たちはここからまた往復4時間かけてピンクレイクにいくそうで、事前に時間に余裕のあるツアーを選んだ選択は正解でした。

 

カンクンエリアを歩く時間も欲しかったですしね。

翌日はシカレという、水と動物とショーが楽しめるテーマパークに。早朝発の真夜中着なのですが、私は例によって水に興味はなく、ショーも見なくてよいので、動物と鳥のエリアを重点的に回って早めに離脱してきました。

鳥のエリアは多少虐待風味はありましたけど、めっちゃたくさんいて、一日見ていても飽きないような場所でした。グループで来たら1日じゃ遊びきれないんじゃないかと思います。

鳥が全体的にみんな元気がなかったんですけど、もしかするとあまり人間に興味を持つように飼育されていないだけかもしれません。

 

そんな感じで実質10日ほどの旅行はとても楽しかったです。気候も良くて、帰るのが嫌になってしまいました。

 

今年の海外は、予定ではあと4カ所、近場1、中距離2、遠征1で、あともう一回いれるかどうか、みたいな感じです。

 

このブログではほとんど書くことがなかったのですが、仮想通貨のトレードに関する経緯と現状みたいなのを、そろそろ書き残しておいた方がいいかなと思ったので、書いてみようと思います。

2017年末、第一次ビットコインバブル末期に仮想通貨に手を出して、その年は12月だけで約5000万の利益。とはいっても税金で半分持って行かれましたが。

そして、調子に乗ってICOに参加しまくった2018年でしたが、例外なくコインチェック事件に間接的に巻き込まれ、ほぼ全部がただの電子ゴミに・・・。
総額では1億ちょっとはぶっこんでいると思うのですが、片っ端からクズになり、換金性がわずかにでも残っていたトークンのいくつかはDEXで見つけて売却しましたが、残りはそのままです。

その間、いくつかの仮想通貨あるあるのチョンボをやらかしていて、結構な損失?を被っています。

一つはETHの誤送金。いわゆるGOXなのですが、実はなんでこうなったのか本人もいまだによくわかっていません。とある取引所に間違ったアドレスに送金したようなのですが、確かに自分がブックマークした取引所で、通貨も確認して間違ってなかったと思うのですが、アドレスが違っていたようで、消えてしまいました(´・ω・`)

いまだにたまにEtherscanで追ったりしているのですが、謎のまま・・・。
これがあれば、そこから20倍以上になっているはずなので、過去の損も優に全部取り返しておつりがくるんですけどね(´・ω・`)
(実際は、その前に日本円に換えてしまうと思いますが)

もう一つは、完全に死んでると思っていたプロジェクトが実は生き残っていたっていう話で、そのトークンは別トークンにコンバージョンして再出発していたんですね。ニュース自体はずいぶん前にあったのですが、そのまま何もしなくてよいみたいなことが書かれていたので放置していたら知らないうちに。

で、なんか死んだはずのPJからやたらメールが来るぞ?と思って確認したら、実はもう復活しているじゃないですか。で、その新しいトークン(旧トークンと等価交換)はけっこうな値がついてる。とはいっても日本円換算で8桁には届かない額ですが。

ウヒョー(・∀・)と思ってDiscordを覗きに行ったら、なんか揉めてる人がいる。で、よくよく読んでみると、コンバージョンのお知らせはずいぶん前に出されていて、もう交換期限は過ぎたので対応しない!って言ってる運営と揉めてるらしい。でも何もしないでいいって言ってたんだから、snapshotをとって(権利者を確定して)新トークンを送ればよかったはずなんだけど・・・。

てなことで、私も聞き分けの悪い英語のよくわからない非常にめんどくさい外国人を演じて暴れてみせたのですが、どうにもこうにもらちが明かず、結局このトークンも電子ゴミに・・・。ふざけやがって(´・ω・`)

そして、これに懲りて(気が付いて)持っていた価値ほぼゼロのトークンを全部調べてみたのですが、なんと、まだ辛うじて生き残って開発を続けている(Discordがアクティブな)PJが一つ残ってたんですよ。

まー残っていると言っても、三苫でも諦めるんじゃないかってぐらいのギリギリの状況ではありますが、もし今後仮想通貨の環境が好転したらコンバージョンしてPJを進行させます、という状態にはなっているようなのです。

ということで期待はしていない(するほどのPJではない)のですが、DEXを探したところ、ほんの少しだけ流動性があって捨て値で放置されているので、これを10倍量(値段はあってないようなもの)買って、あとは定期的にDiscordだけチェックしています。草コインは何がきっかけで上がるかわかりませんからね・・・。

てな感じで純粋な仮想通貨売買の記録はこれでほぼ全部です。

あとは去年の春から靴系のアレとかアレとかで損をしたり、わけのわからないBCG(ブロックチェーンゲーム)に参加したらPJが飛んだりで、額は以前とは比較になりませんが、順調に損を続けております(´・ω・`)

NFTも結構持ってますが、これはまあ趣味みたいなものですね。これで儲けるのは難しいと思ってます。

いずれにせよ、これから何かがあっていくら儲けても、大含み損状態で昔のコインを大量に持っていますので、税金の心配は無用な状態です(・∀・)

これをうまく逃がすようなチャレンジは傷口を深くする可能性が高いですし、利益が出ても今の税制ではまったくおいしくないので、こちらで頑張るのは得策ではないと思っています。主要コイン以外は流動性もほとんどありませんからね。チャート上で上がっていても、実際には数千万単位で売買できませんから。

とは言え、仮想通貨が盛り上がるのは市場にお金が余った時なので、また活気が出てくれればいいなとは思っています。
 

2022年成績
-274万

年初に、トレードとは別にオプションと先物の合成ポジを回そうとしていて、そこで間違って大損害を被ってしまった分がなければプラスではありました。

集計開始以来、トレード以外は年間損益に含まないルールではあるのですが、どういうつもりだとしても同じ口座で回していたものなので損は損としてこっちに繰り入れます。どのみち今年は外国ETFが大きくやられていて、資産総額的にはかなり減りました。

12月に某株が噴いて、一瞬大きくプラテンしたところで終わった感じです。ざくっと上半期-8000万、下半期+8000万と言う感じなので、感触的には悪くはないです。

上半期までは、小手先は変えても、基本的にこれまでのスタンスで続けてきましたが、さすがに懲りて、下半期では手法は同じでも、手数を思い切り少なく(今まででも少ないですが、さらにそれの5分の1ぐらい)、インの判断を厳選して臨みました。結果下半期はほとんど負けなかったので、このまま続けるつもりです。

何か違う事をやり始めてたまたま当たったわけではなく、これまでの延長線上のやり方なので、また調子に乗ったりしなければ続けられるとは思っています。ただしそれで勝てるかどうかはわかりませんが。

ここ3年酷い成績ですが、トレード開始から振り返ると、ドットコムバブル崩壊の直前に株を初めて最初の3年はグズグズして、その後2年を10倍→10倍で億に乗せて、翌年も億稼いで会社を退職(FIREというよりは体調を崩したのが大きいですが)、その後5年、リーマンショックもあってオプションで稼ぎつつも年間マイナスを2回はさみつつ踏ん張ってました。

東日本大震災の時にまた億を稼いでそこから8年間も良い思いをしたのですが、コロナ禍ちょっと前から失速、そこからは自分のそれまでのやり方ではうまくいかなくなってしまいました。

もちろんそれは理由があって、トレードで勝ち続けているうちに、できるだけトレードの時間を減らして自由な時間を作ろうとして、勝ててる間どんどんトレードに割く時間を減らしてきたことが一番の原因だと思います。日々状況やシステムが変化してゆくなかで、逆にかかわりを減らしていったところで、大きく環境が変わって全く対応できなくなったというようなことかなと思います。

しかし現実問題として、私の年齢では、遣うかどうかわからないお金を積み上げるための努力に多大な時間を掛けることはメリットがあまりないのも事実で、問題なのは、時間を掛けていない事ではなく、時間を掛けていないのに過去と同じようなトレードを続けてしまっていることだと思います。

それでも大丈夫だった時期が長く続いたのは事実ですが、もうその感覚でやれる時代は完全に終わっているので、今後は、自分の状況を意識してトレードができないのであれば、完全に足を洗う覚悟が必要だと思っています。

自分としては、コロナ騒ぎもほぼ終息したことですし、国内国外に積極的に旅行に行きつつ、普段熱中できる趣味を探したいと思っています。もともと多趣味ではあるので新しいものである必要はないのですが、楽しいことがたくさんあればいいなと思っています。

自分のトレード論みたいなのも書こうと思ってたのですが、ああいうのは何かしら「キリがよい」状態でないとなかなか書きにくいので、またどこかで機会があったら書こうと思います。

それでは2022年、お疲れ様でした。