私はいたってノーマルな人間なので不良との付き合いは一切なかった。しかし、なぜか元暴走族の肩書を持つ人物と知り合うことが多く、なぜか気に入られたりする。しかも、彼らは皆立派な社会人となって活躍しているのだ。その中でも取材を通じて知り合い印象的だった人物を紹介する。
<某仏教系のイケメン准教授>
彼と知り合ったのは、私が上京してマスコミの専門学校に入ったとき。かなりのイケメンで、山の手線内に女を5人囲っていた。実家は栃木なのだが、帰宅するのは週末だけで、月曜日から金曜日までは山の手線内の女の家を日替わりで泊まり歩いていた。
そんな彼はなぜか私を気に入り、入学式早々話しかけて来て仲良くなった。お互いストーリー作家志望(彼は小説家、私は漫画原作者)だったという共通点があったからかもしれない。
話をしていて頭がいい人だというのはすぐに分かった。彼は2浪してここへ来たのだが、地元の国立大学を受け続けており、予備校でもトップの成績だったという。
それほどの人がなぜ大学進学を断念して専門学校に来たのかというと、予備校時代に高校3年生の家庭教師をしていたのだが、教え子が合格したのに自分が落ちたことによるやけくそからだという。
まぁ、そんなことはどうでもいいとして、彼と話しているうちに高校時代に暴走族をしていたという事実を知った。こんなイケメンなのに!と驚いた。まるで『東京リベンジャーズ』の実写版じゃないか。頭がいいのでインテリ暴走族だったようだ。結局、現役受験に失敗したことを機に走るのをやめたという。
その彼と私は専門学校を卒業後、お互いに大学へ進学し直した。私は広報学のある大学へ行ったのだが、彼は何と仏教系の大学へ行ったのである。その後、彼は韓国に儒教の勉強をしに行ったりして勉学に励み、久しぶりに会ったときには助教授(現准教授)になっていた。
学生時代に結婚もし、女遊びもピタリとやめ、とても元暴走族とは思えないほどの人格者になっている。
<TVにも出る努力家社長>
その人と初めて会った時、とても温和な表情で静かな口調で話す人だった。世話好きで義理堅く、まだ30代ということもあり、まさに好青年というイメージだった。しかも、一人で4畳半一間にパソコンを置いて頑張り、現在の会社を立ち上げて社長となった努力家でもある。
しかし、側近の社員たちは皆口をそろえて「社長は昔悪かったんだ」 「人を一人殺してるらしいよ」と笑いながら言う。最初は冗談かと思っていたが、一緒に仕事をして仲良くなるにつれ、それが真実だということが分かった。
彼は元々教育一家に育っていて小学生時代から毎日塾に通っていた。しかし、5年生の時に突然キレて、まずはタバコを吸い始める。中学時代は盗んだバイクで登校を繰り返し、高校時代は不良校をまとめる暴走族のリーダーと化していた。母親はノイローゼで入院し、警察沙汰はしょっちゅうだったという。
しかし、そんな彼も何かのきっかけで突然立ち直り、医療事務を猛勉強し、就職先の病院で事務局長にまでのし上がっていった。そして、先述の努力をして自分の会社を立ち上げて社長になったのである。
思い切って社長に聞いたことがある。
― 人を殺したって本当ですか?
「僕はないけど、たぶん死んだだろうなという現場にはいたよ」
― 元暴走族なのに社員が大きなミスをしても怒鳴ったりしませんね。
「若い時に散々やんちゃし過ぎたからね。もう怒る気がしないんです」
― 絶対キレませんか?
「昔、免停中に車に乗っていたとき、当て逃げをされましてね。キレた僕はその車を追いかけ、逆に体当たりして横転させ相手に大ケガをさせたんです。最初の被害者は僕なのに結果的にはこちらの方が免停がばれたり賠償金を支払ったりで被害が大きかったんです。それからキレるのは損なんだなと分かって、それ以来キレたことがありません」
私が、社長をテレビに出す段取りをつけたときのことだ。
― テレビに出るのは初めてですか?
「警察車両に追いかけられてるところがニュースで流れたことがあります。モザイクかかってましたけど」
笑いながら言うなよ…。
そんな社長を、元暴走族だと言っても誰も信じない。
<女マネージャーYさん>
元ヤンキー上がりの某タレントさんに付いている女性マネージャーYさんは、地方でレディースの頭を張っていた。
初めて会ったときは美人だが目が鋭いなと思った。しかし、「私、芸能界の仕事は初めてなんです。いろいろ教えて下さい」としつこいほどに勉強熱心で、その純粋さに心打たれたものだ。正直うっとおしいなと思ったこともあった。基本的なことばかり聞いてくるからだ。しかし、私も辛抱強く業界のイロハを教えてやった。
そんな彼女が元レディースだと知ったのはしばらくしてからだった。マネージャー業は忍耐のいる仕事なのに、時々理不尽なことを言う人やセクハラ行為をする人に対して敢然とキレるからだ。最初は正義心の強い真面目な子なんだなと思っていたのだが、実は曲がったことが嫌いな硬派の元不良だったのである。
ある日、深夜に及んだ飲み会が終わって、他の仲間とともに酔った彼女をアパートまで送ったときのことだ。玄関を開けて、まず私の目の前に飛び込んできたのは白い特攻服だった。彼女はこれを『青春の証』として大事に飾ってあるのだという。
「咲かせて見せよう血の花を」という、いかにも昭和らしい刺繍があった。…いいよ、咲かせなくて。
彼女はお盆と年末年始に地方にある実家へ帰省する。しかし、顔を隠して駅を降りるそうだ。というのも、駅前の交番を通ると警察官に「よう、Y! 東京で真面目にやってるか? もう暴れてないだろうな」と声を掛けられるのがウザイからだ。しかも、散々世話になったベテラン刑事に見つかると「あの頃のお前は~」と懐古しだすらしい。
また、レディースの後輩にもよく声を掛けられる。
「先輩、いつ帰って来たんスか? なんでスーツ着てるんスか? 眉毛描き出したんスか?」
後輩たちは彼女が東京で真面目に働いていることを知らないのである。
彼女は私に対しては決して怒らない。新人の頃に世話してやったので義理を感じているというのだ。だから彼女はこうも言ってくれる。
「竹ちゃんさんに何かあったら私が出て行きますから」
いや、出てこなくていいから。事を大袈裟にして巻き込まないでくれ。
彼女は朝から晩まで、マネージメントだけでなくタレントさんの付き人として立派に働き続けていた。噂によると今は介護士として奉仕の仕事に励んでいるらしい。頭が下がる思いだ。
<鳶のタカちゃん>
20代の頃の私はフリーライターの仕事をしながら、小さなレンタルビデオ店で時折バイトをしていた。
タカちゃんは、私がレンタルビデオ店にいるときの常連だった。今みたいに大きなレンタルショップがなく、小さな個人経営のレンタル店が乱立している時代だった。しかし、それはそれでお客と店員がフレンドリーな関係でいられて温か味があったものだ。
タカちゃんはいつもほろ酔い気分でニンニクの臭いをプンプンさせて来店してきた。映画が好きで、たまにはアダルトも借りていく陽気なアンちゃんだった。
そんなタカちゃんと私が仲良くなったのは、向かいにある弁当屋のアルバイト娘に対して好みが一緒だったからだ。
「いいよなぁ、あの娘。美人じゃないけど愛嬌あるし」そういうことを言いながら、いつしかどっちが先にその子を口説き落とすかという話にまで発展した。
結果として、両者とも振られたのだが、その日は二人で飲み屋に行って大いに語り合ったものだ。そして、それを機にますます仲良くなっていったのである。
そんなある日のことだった。タカちゃんがいつものように臭い息を吐きながら客として来ていたとき、後からガラの悪い二人連れがオラオラと入店してきた。しかし、そいつらはタカちゃんを見つけるや否や急にオドオドしだしたのである。そして、いきなり大声で「タカさん、お久しぶりです」と深く頭を下げたのである。
え…? タカちゃんって、元暴走族かヤンキー?
「おう、おまえらか。ここは俺のダチ公の店だから迷惑かけんなよ」
そう言うと二人連れは「分かりました」と、コソコソ店を出て行った。
ひょっとして、ダチ公って私のことなのか? 勘弁してくれよ。私は内心恐る恐る、でも表向きは平然とした顔で聞いてみた。
「タカちゃんってゾクだったの?」
「ああ、特攻隊長やってたよ。昔はよく暴れてたなぁ。当時の面影もあるよ」
そう言って、刃物で切られた傷跡を見せてくれた。
見せんでいいって! しかも、笑いながら見せんなよ。
そんな彼も立派な鳶職人として社会の役に立っている。
どんなにワルでも社会人になってから活躍できる人間ってのは、やっぱどこか優れてるんだね。チンピラはチンピラのまま終わるみたいだけど、筋金入りのワルの中には立派な社会人になる者もいるという実例を目の当たりにさせてもらった。
[編集後記]
准教授を除く3人に共通していたことは、真面目に生きるきっかけを語ってくれなかったこと。なにかがあったはずなのだが、口を濁らせるだけで話したがらない。照れくさかったのだろうか? 格好つけたくなかったからだろうか? ならば、こちらとしても詮索はしない。結果的に現在が真面目であればそれでいいから。