座敷わらしに遭遇? |  ライター稼業オフレコトーク

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分野の取材執筆をしてきました。
ここでは当時の面白かった話や貴重な情報、取材で思ったこと、
記事にできなかった裏話などを披露していきます。

 座敷わらしといえば盛岡の緑風荘が有名だ。1970年代のオカルトブームで有名になり、多くの著名人が座敷わらしに会いに訪れたものである。しかし、2009年に火事で全焼。座敷わらしは居なくなったものと言われていた。ところが、再建した今でも不可思議な現象が起きているという。特にオーブは必ずと言っていいほど撮影されている。果たして座敷わらしは戻って来たのか?

 1997年、その緑風荘についての体験記事を某機関誌に掲載したことがある。今回はその内容を再録したいと思う。

 

   

 

幸運を招く『座敷わらし』に会いに行く

 その妖怪に出会うと、男は出世し、女は玉の輿に乗れる。その妖怪が出る家には幸運が訪れ、去ると家運が遠のく。こんな言い伝えとともに語り継がれてきた妖怪・座敷わらしが出没するという岩手県二戸市金田一温泉の旅館『緑風荘』で、ついに接触できた。時刻は夜明け前の午前5時。真っ暗な部屋で突然……。

 

 

幸運を招く『座敷わらし』に会いに行く

 その妖怪に出会うと、男は出世し、女は玉の輿に乗れる。その妖怪が出る家には幸運が訪れ、去ると家運が遠のく。こんな言い伝えとともに語り継がれてきた妖怪・座敷わらしが出没するという岩手県二戸市金田一温泉の旅館『緑風荘』で、ついに接触できた。時刻は夜明け前の午前5時。真っ暗な部屋で突然……。

 

 金田一温泉郷は盛岡駅からJR二戸駅で下車。駅前のタクシーで5分ほど丘陵地帯を走ると問題の旅館が見えてきた。座敷わらしが出るというので、緑風荘は山の中の一軒宿かと思いきや、そばには人家もあり、外観はアパート風で妖怪が出る風情ではない。

 座敷わらしが出没する『槐(えんじゅ)の間』は十二畳の和室。長い渡り廊下の先の旧館奥座敷にあった。

「わらしは、この部屋にしか出ません。旧館は元禄3年、300年位前に建てられたそうです」と、宿の人から説明を受けた。

 

 部屋の中は、真ん中にこたつ、左奥にテレビ、右手前の隅に背の低い屏風という配置。ただ、普通の部屋と違うのは、部屋の左手の床の間と棚に、百体ほどの人形やぬいぐるみ、おもちゃがぎっしり並んでいることだ。柱の陰には『お客様からのお供え物なので、手を触れないでください』と書かれた注意書きがある。

 

 夜8時。座敷わらしが出るまではまだ9時間ほどある。そこで、この宿のご主人に座敷わらしの話を聞くことにした。

「わらしは南北朝時代の皇族の子の霊で、650年前に北朝との戦いに敗れた後醍醐天皇方の南朝の子として産まれたそうです。やがてわらしは、近畿から当地まで落ち延び、6歳で病死、以来、当家に現れるようになりました。当家の祖先は南朝方の人で、この子の霊が私ども一族を守り続けているのです」

 ご主人はこう説明してくれた。

 

 わらしが出る家は家運が向き、去ると運が逃げる。男は出世し、女は玉の輿に乗れる、という言い伝えが、座敷わらし人気の理由だ。まさに福の神というわけで、部屋の床の間と棚に並んだお供え物は、幸運をつかんだ人たちからの贈り物だそうだ。

 床の間の注意書きには「座敷わらしに会ったり、その気配を感じた人は、大変な幸運に恵まれると言います。違い棚に置かれた物は、そういう体験をされた人々からのお供え物です」と書かれていた。

 

 

座敷わらしは白い着物におかっぱ頭

 元々当地の名士だったご主人の家は、昭和30年当時に母親が緑風荘を開業。ただ、旅館を始める前から同家を訪れる賓客は多く、明治35年以降に座敷わらしの噂が世に広まり、宿泊客は、政治家、財界人、作家、漫画家、芸能人と多士済々。そして、その中には幸運が訪れている人が多くいるのだ。

 

 政治家なら、首相経験者では原敬、米内光政、福田赳夫。

「原敬元首相は連続8回当選。福田先生は、よく座敷わらしのおかげで総理になれたとおっしゃっていました。

 特に、福田元首相は後輩議員に向かって、君たちは究極は総理大臣を目指しているのだから、陸奥へ行って座敷わらしに会って来るといい。俺だってなれたんだからとよく話していました」

 そのせいか、今でも現職の国会議員が利用しているという。

 

 財界人では、京セラの稲盛和夫氏が経営が苦しい時に、また、本田技研工業の本田宗一郎氏が、ジャンパー姿でバイクに乗って来たという。

 作家では、遠藤周作氏や心霊作家の中岡俊哉氏も。

 漫画家では、水木しげる氏が何回も宿泊し、つのだじろう氏にいたっては実際に目撃し、「座敷わらしは白っぽい着物におかっぱ頭だった」と証言している。

 他にも、有名な女優さんが来ており、緑風荘は次第にテレビや雑誌などに何度となく取り上げられるようになっていった。 

 

 実際に座敷わらしを見ることができるのは年に数人で、若いお嬢さんが多いらしい。取材前にも大阪から若いお嬢さんが来て、人形を置いて帰ったという。

 では、座敷わらしが現れる時の状況はどうなのか?

「体験者の話を総合すると、夜中に生木を裂くような音がして、瞬間的に金縛りに遭い、屏風の影のあたりから現れた人影が枕元を通って、テレビのあたりでポッと消えるというのです。時間は数秒から1分くらい。部屋の電気をつけていても、消していても見えるそうです。家の者はあの部屋で寝れないことになっているので、残念ながら私どもは見たことがないのですが……」

 そんな話を聞きながら、底冷えのする東北の雪の夜は更けていった。

 

 

明け方に座敷わらしからのメッセージが!

 さて、一人『槐の間』に戻ったのが午前0時過ぎ。期待と怖さが交錯した気分で寝床に入る。寝るつもりはない。ここで寝てしまっては体験取材にならないからだ。しっかりと医者から処方された眠気防止の薬を飲んで、寝たふりをして待ち構えた。

 いよいよ座敷わらしに会えるかと思うと気分が高ぶって仕方ない。

「さぁ、早く出てきておくれ」

 そんなことをつぶやきながら、ついに問題の時刻を迎えた。どんな小さな音も聞き漏らすまいと耳をしっかり澄ます。

 明け方近く、突然オルゴールのような心地よい音色が聞こえてきた。夢の中の話ではない。確かに目を覚ましていた。そしてその音を聞いたのは、時間にして10秒か20秒。なんとも懐かしいような優しい音色で、不思議とまったく怖さを感じない。そんな不自然な時間に鳴っているにもかかわらずだ。もしも天国にBGMが流れているとしたら、きっとこんな音なのだろうと思った。それほど心地良かった。

 ハッと我に返り、すぐに座敷わらしが現れる屏風のあたりを目で追ったが、ついにその姿は見ることはできなかった。

 それにしても、あの音はなんだったのか?

 

 朝食を運んできた宿の仲居さんにオルゴールのことを聞いてみた。

「人形の中にオルゴール仕掛けの物はあるんですが、なぜ夜中に鳴り出したんでしょうねぇ。今までそういう話は聞いたことがありませんが……」

 そう言って首をかしげるのみ。

 ならば、オルゴールのぜんまいを巻いて、あの音を確かめてみようとも思ったが、『お供え物なので手を触れないでください』という注意書きが目に入り、泣く泣く断念した。

 

 チェックアウト時に、ご主人にも聞こうとしたがあいにく不在。そこで後日電話したところ、「仲居から聞いて調べてみたら、過去に23回そういう体験をした人がいたそうです」との答え。 

 ぜんまい仕掛けのオルゴールが深夜に突然鳴り出すことは、どう考えても科学的に説明できない。となれば未知の力が働いたと理解するしかないのだが、やはりあれは、座敷わらしからのメッセージだったのだろうか? 

 

[編集後記]

 ちなみに当時の宿泊費は1泊2食付きで1万からだった。今は倍近くの2万からとなっている。