― 猪木は確実にヒーローだった ―
3月7日火曜日。その日、私は両国国技館にいた。「アントニオ猪木 お別れの会」へ参列するためだ。昨年10月1日に訃報を知り、ついにこの日が来たかと落ち込んだ。子供の頃からのヒーローであり、憧れであり、何よりも尊敬する人物だった。
学生の時や社会人の初期の頃は、自分を紹介するエントリーシートみたいなものの中に「尊敬する人物は?」と記入させられる欄がある。私は迷わず「アントニオ猪木」と書いた。面接でもそう答えた。自分は紛れもなく猪木信者だったのである。もちろん「好きな言葉?」は「闘魂」と答えた。
― なぜ猪木なのか? ―
まだ小さかった頃、父親に無理やりプロレス中継を見せられ、いつしか自分も自然とプロレスを見るようになっていた。その頃の主役はジャイアント馬場だったが、子供ながらに馬場のファイトスタイルはなんとなく馴染めなかった。ただ大きな体を使って勝っているという感じで。
むしろ中型レスラーである猪木の必死さや頭突き一本で頑張る大木金太郎の方が好きだった。脳みそが単純な小学生の時には、年下の1年生にコブラツイストをかけて泣かし、廊下に立たされたことがある。大木のようになりたくて、頭を鍛えようと家の柱に頭突きを繰り返し、母親によく叱られたものだ。
新日本プロレスブームが起きた頃には完全に猪木派になっていた。昔からアンダードッグ効果を受けやすく判官びいきなところがあったので、当時の全日本プロレスからの圧力で苦戦していたのを見て、ますます応援したくなったのだ。
ファイトスタイルも好きだった。相手の良いところを引き出したうえで勝つというスタイルに引き込まれた。ビル・ロビンソンやストロング小林との名勝負に感動した。スタン・ハンセンという強大な相手やアンドレ・ザ・ジャイアントという巨大な相手に立ち向かう姿に狂喜した。
馬場は結果を残す試合が多い。だが心に残る名勝負がない。歌謡曲に例えれば、売り上げ枚数だけを記録し、記憶に残らない歌を出している歌手みたいなものだ。だが、猪木の試合はいつでも記憶に残るし、印象付けられるものが多い。名勝負は数えきれない。
猪木の派手なパフォーマンスが嫌いだという人は多い。数多くの常識外れな行動など型破りな言動が嫌だという人も多い。外面が良くて内面が悪いとも言われる。だから、保守的な人には好まれないのかもしれない。だが、逆に今まで人がなし得なかったことを初めて行う破天荒なところに惹かれる人もいる。形に縛られることが嫌いな自分は、まさにそこに惹かれたのだと思う。
― 血まみれポスターの前で飯を喰う ―
学生時代、2DKの木造モルタルのアパートで一人暮らしをしている時、部屋の中はアイドルだらけのポスターに混じって、猪木の血まみれのポスターが飾ってあった。タイガー・ジェット・シンのコブラクローを受けて、喉から出血し鬼気迫る表情の猪木の顔面アップだ。それを机の前の壁に貼り、何か気落ちしそうなことがあっても「よ~し、俺もやってやる! 負けて堪るか!」と自分を鼓舞していた。
遊びに来ていた友人たちはそのポスターを見て、「そんな血まみれのポスターを前にしてよく飯が喰えるなぁ」と言っていた。
そう言えば、プロレスを理解している友人の一人は、馬場の出血は痛々しいけど、猪木の出血は様になるなと言っていた。確かに一理ある。
― ファンと猪木が触れあう瞬間 ―
ファンが猪木と一体になれる時がある。それが闘魂注入ビンタだ。私も受けてみたかったが、あいにくそういう場面に遭遇できなかった。理解できない人からは「なんで叩かれたいの? バカじゃないの?」とよく言われるが、あれは一種の儀式なのである。座禅で活を入れられる以上の効果がある。
ビンタ以外で一体となれるのが「1・2・3、ダァー!」の大唱和だ。東京ドームで何度この「ダァー!」を猪木と一緒に叫んだことだろう。何万人もの観衆が叫ぶと自分の声が全く聞こえない。このような体験はなかなかできない。しかも、これがまた気持ちいい。自分の声が聞こえないほどの大声を出すことがこんなにもスッキリするとは。まさに貴重な体験だったと言える。
― 非常識ではない赤い献花 ―
そんな猪木が逝ったとなれば、信者としては必ず葬儀の場面に駆けつけたいもの。だが、通夜、告別式、四十九日法要は親近者や関係者で行われ、一般人は参列できない。だから、誰もが「お別れの会」が行われるのを待っていたのである。
場所は両国国技館。午前中の第一部の追悼式典に出席したかったのだが、チケットはすぐに売り切れてしまった。仕方がなく一般人が自由に献花できる午後からの第二部献花式に行くことにした。
両国駅に向かう総武線の車内には、手に花を持った乗客が見受けられた。意外だったのは、白い花だけでなく赤いバラがチラホラと見受けられたこと。ふつう献花の花は白と決まっている。赤い花を持参した人は一般常識にかけているのか? 否、そうではなかった。会場前近くには花屋がないため、献花用の花を販売する特別テントが設けられていたのだが、そこに用意されていたのは全て一輪の赤いバラだった。そう、赤は猪木のイメージカラー。常識にとらわれない猪木の生き方らしく、常識的な白ではなく赤であってこそ猪木らしい献花だといえる。
非常識を常識に変える。非日常を日常にする。非難されても人が避けることをやる。それが猪木の生き方だった。プロレスラーが政治家になる、北朝鮮への外交、イラクでの人質救出、モハマド・アリとの異種格闘技戦、巌流島の戦い、アンドレからのギブアップ奪取など、人のやらないことをやる。それが常識にとらわれない生き方。だから、献花が赤い花であることは、猪木にとっての常識なのだ。
―平日の日中に集う赤タオルのおっさん達―
入場前には多くの参列者が並んでいた。その多くが若い頃に猪木の影響を受けた私と同じ世代の男たちだった。女性も2割くらい居ただろうか。猪木と同い年くらいな高齢者や若い世代も目についた。並ぶと同時に、首に赤いタオルを掛ける者が多くいた。闘魂タオルだ。私も数珠代わりに持ってきた赤いタオルを首に掛ける。
平日の午後2時だったということもあり、私のように仕事を休んできた人、半休を取ってきた人、仕事の途中で抜け出してきた人など、様々な顔がそこにあった。周りからは、営業の途中で立ち寄ったのか取引先と電話をしている人の声、親族の問題なのか弁護士と深刻な電話をしている人の話し声などが聞こえてきた。
多くの人がいろいろな状況に置かれている中で、猪木に最後のお別れを告げるために駆けつけた。なんと素晴らしいことか。並ぶ参列者は見知らぬ他人同士であっても、心の中ではひとつに繋がっていた。あの「ダァー!」を叫んだ時のように。
― 人にはヒーローが必要だ ―
館内に入ると四角いリングに赤いバラを中心とした献花が敷き詰められ、正面には猪木の肖像画と闘魂という文字のオブジェがあった。誰かが「猪木~! ありがとー!」と絶叫していた。参列者の誰もがそう思っている。心の中で叫んでいる。嬉しくなった。それは参列者すべての総意でもあるからだ。
私もリングに花を置き、手を合わせた。その時はまだ冷静だったと思っていたのだが、小さく「ありがとうございました」と口に出した途端、突然涙が出てきてしまった。一気に感情がこみ上げてきたのだ。やっぱり自分は影響を受けた人間だったんだなと確信した。そして、確信を持てたことに嬉しくなった。
改めて憧れの存在がいるのはいいことだなと思った。夢を抱かせてくれ、やる気を起こさせてくれ、我慢や根性を植え付けてくれた。それが身近な人間でなく遠い存在であっても、有名無名に関係なくそのような人物がいるということに意義がある。
それは漫画や小説の主人公、映画の登場人物だっていいのだ。自分の生き方に少なからず影響を与えてくれた人は尊敬に値する。
「尊敬する人物は?」との問いに「アントニオ猪木」と書けたことは、今でも誇りに思っている。
[編集後記]
帰り際、「猪木に国民栄誉賞を授与させよう」という署名用紙を渡された。時の政権が自分らの人気取りのために乱発しているようなものだから無理だろう。自分の心の中にだけ国民栄誉賞が授与できていればいい。