昨今、犯罪被害者の人権擁護について多くの議論がされているが、私は前々から別の視点で思っていることがある。
最近では目にする機会が少なくなってきたが、以前は女性が殺人事件の被害者になると何らかの形容詞が付けられたものだ。週刊誌やテレビのワイドショーで目にするコピー…『美人OL殺される』『美人若妻惨殺』等々。
つまり、必ず『美人』とか『若い』というような形容詞がつけられる。だから、ただ『OL殺される』という見出しがつけられた時は、「ああ、この人は美人じゃないんだな」と察することができる。
それなら、美人でなければ何も形容詞がつけられないのかといえばそうでもない。身元不明者だったりすると、『小太りの女性が他殺体で発見』というように身体的特徴の形容詞がつけられた。
果たして、このことを意識している人はどれだけいるだろうか? たいていの人は日常生活の中で聞き流し、見過ごしている。もう当たり前のこととして定着しているから特別意識をすることがない。これはマスコミで働く男社会の目線が作り出した世間公認のセクハラと言えなくもない。
では、それが悪いことなのかと言うと、一概にそうとも言えない現実もある。セクハラは表向き悪いこととされているが、それをポジティブに受け止めている人もいる。例えば…
私の友人の奥さんは決してデブといえないポチャ系の美人だ。その旦那である友人が奥さんに常々こう言っている。
「もう少しダイエットしたら君はもっと綺麗になるよ」
だが、彼女は
「私のことを外見でしか見てないの?」
と逆ギレして全然言うことを聞かない。
ところが、先の形容詞の話をしたら彼女はこう言った。
「もし、私が殺されたら『小太りの若妻殺される』という見出しがつけられるのね……」
そして
「よ~し、死んでから恥をかかないように今から痩せよっと」
と言った。…おいおい、旦那の言うことは聞かないくせに、身元不明死の評価を気にするとやる気が出るのか!
男は意地っ張りだが、女は見栄っ張りだ。旦那にしてみれば、動機は納得いかないが、彼女が痩せる決心をしてくれたのは嬉しかったようだ。そのことを考えると、この夫婦にとって形容詞を付けるということは、まんざらセクハラとは言えなかったわけだ。
それにしても、美人が殺されるとどうしてこうも話題になるのだろう。被害者を悲劇のヒロインとして捉えてしまい興味をひくからだろうか?
猟奇的な殺人は別として、深夜に帰宅した女性が、変な言い方だが普通に殺されたとする。これが若くて美人で有名企業に勤務となるとマスコミに大きく取り上げられ、週刊誌やワイドショーではプライベートまで暴かれる。そこで、もし風俗のバイトでもしていたことが分かれば、一気に好奇の目にさらされるし、へたをすると“被害者への同情”が“軽蔑と偏見”にすり替わってしまう。美人でなければそうはならないだろう。
この話を美人の編集者に話したら
「じゃあ~私、殺されるとマスコミに載っちゃうのね。だったら変な殺され方できないわ」
と言った。そこで私は
「だったら人並みに生まれてきた方が良かったの?」
と聞くと
「それも困るわ」
とのこと。何が困るのかよく分からないが…。
* * * * *
女性被害者の形容詞にまつわる例えをひとつ紹介する。
昔、茨城県の某湖から身元不明の死体が見つかった。遺体は死後一ヶ月経っており、腐敗ガスが充満して浮き上がってきたのだ。お棺に入らないくらい巨人化しており、元の顔も分からないほどだった。そのため地元では「身元不明の中年女性の死体遺棄事件」として捜査が開始された。
その後、遺体を元に捜査員が似顔絵を描いたが、どこにでもいるような中年のおばさんの顔だった。また、身につけている遺留品も多いことから、被害者の身元はすぐに判明するものと思われていた。
ところが、発見から一ヶ月経っても被害者の身元はいっこうに判明しないのである。
その頃、東京では二ヶ月前に『一人暮らしの美人未亡人失踪事件』が起きていた。
ある捜査員がもしやと思い茨城県警に問い合わせてみたところ、両方の事件が一致する事がやっと分かり、事件は一気に解決していく。
東京での『美人未亡人』、茨城での『身元不明の中年女性』というまったく一致しない形容詞の違いが、事件の解決を二ヶ月も遅らせてしまったのである。
その後、この事件が後世に語り継がれた時には『資産家美人未亡人殺人事件』となっていた。
[編集後記]
19歳の少年がラブホで風俗嬢を殺害した事件があった。テレビ局によっては、被害者に風俗嬢という肩書を付けた場合は「31歳の女性」と紹介していたが、肩書を付けない場合は本名を出していた。風俗という仕事は興味をそそる恥ずかしいものという位置づけなのか? この場合の犯罪被害者の人権擁護はどうなるのだろう?