オートグラフ・ウォッチ、今回はジェニファー・カプリアティ編。
前記事のダベンポートと同世代のアメリカ・テニスの天才少女。
史上最年少でGSベスト4に進出し(14歳だったかな?)、
その後燃え尽き症候群でツアーを離れ、万引きしたり、大麻もしたのかな?で、
どん底を経験し、
そこからまたツアーに戻ってきてからしばらくは、記者会見でしつこくどん底時代のことを訊かれ、泣き出すこともありました。
1999年の観戦の時は、見かけたような記憶もあるのですが、
過去の栄光はどこへやら、、、ウェアのスポンサーもなく、なんのロゴもない地味なウェア着て、まだまだ復活には程遠いような姿をチラッと見た気がします。

そして2001年観戦時、
この時のカプリアティはとにかく、、、恐かったです。(笑)
なんと言うか、ヤンキー・オーラが出まくりな感じでして、
(不良少女だっただけに、私の勝手な思い込みかもしれませんが)
この時見たダブルス。
当時シングルスもダブルスも女王と言った感じのヒンギスが、セレスと組んだビッグなペアと、
どん底からの復活に燃えまくっていたカプリアティと、地元オーストラリアの、これまた気の強さが目に出まくっているドキッチとのペア。

もうこの時のカプリアティの恐かったこと(笑)。(((( ;°Д°))))
まず登場の時から、タイマン張りに来たスケ番かいッ!?と言うくらい、コワイ顔して、ガン飛ばしながら、肩で風切ってコートに入ってきました。
(ヒンギス&セレスの女王ペアは、さすがにビビったりしませんでしたけど。)
コイントスでも笑顔はなく、相手ペアを睨んでいた気がしますし、
試合になると、あのものすごく重いと言われる強烈なストロークを、女王ペアめがけて?ガンガン打って、ぶつけに行くかのような攻め!!
結局カプリアティのペアは負けたと思うのですが、
あのヤンキー・オーラは忘れられないほど強烈で、結局その時のものすごい迫力のまま、決勝ではヒンギスを破り全豪優勝し、初のGS制覇を果たしたのでした。
そこからはその年の全仏も優勝し、世界1位にも昇りつめ、一気に花開いちゃったんですよね~。
ヤンキー・オーラにはビビりまくりましたが、これを横で見ていて面白くないわけがない!!
ある意味このダブルス見てから、一気にカプリアティのこと好きになっちゃいました!!
なので、彼女のこの活躍は本当に嬉しかったものです。
で、その時貰ったカプリアティのオートグラフ。
オーストラリアのテニス・マガジンの彼女のページにして貰いました。

アップで。

さらにサイン帳にもして貰いました。

コレは「Jennifer」と書いているんでしょうね。
サイン帳の方が見やすいですが、もしかしたらジェニファーと書いた後にカプリアティの「C」を書いているのかもしれません。
世界のトップにたったカプリアティですが、
ホーク・アイ導入のきっかけになったセレナとの試合の後ぐらいから、故障続きで、結局フェードアウトして行っちゃいました。
うつ病に悩み、薬の過剰摂取で病院に運ばれ、自殺未遂?と囁かれたり、
どこまでも振り幅の激しい人生を送っていますが、またエキジビジョンにでも出て、彼女のテニスが見れる日が来るといいなぁ、、、。