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タケチャンのブログ

広く浅くあちこち首を突っ込んでいます。
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21日土曜日、未来楽校。
朝市は通常開催の中、一斉清掃、その後納会でした。

 

 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

外回りや校舎内、ガラス窓などの清掃が進む中、お昼のご馳走準備も進む。
Sさんが近所の山から掘ってきた自然薯でとろろ汁作成中。

 

 

 

焼き芋も順調。

 

 

ウクレレサークルのメンバーや、内田未来農園に参加の若い人たちが目立つ。

 

 

 

特製豚汁と、とろろ飯が皆さんに振る舞われた。

 

 

 

なを、朝一は28日まで。
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内房総アートフェス100年後芸術祭を集約した書籍ができあがってきた。
内田未来学校はトップで掲載されている。

 

 

 

 

 

 

今年は旧暦11月17日が、12月17日となった。
市原米沢の森で毎年開催されている柿本人麻呂の有名な和歌にちなんだ「かぎろひを観る会」に今年も参加した。
空は快晴、月も17夜で煌々と輝く中、市原米沢の森に着くと、五時前というのに、早くも会長を始め、数名が来ていた。

初めて参加の方もおられる。

 

 

やや白み始めた「ひんがし」の空は日が出るまでに十分ほどかかるくらい厚く雲が影を見せている。

 

月はまだ高い。

 

      

湿度が高いがやはりあまりいい色には焼けない。

 

 

 

 

その代わりに雲海は見えた。

 

 

西の空のかたぶく月は、ビーナスの帯の上に冴え渡る。

 

 

風邪も無くどんよりした空気で、富士もかろうじて頭が見える程度であった。
こんな景色でも、初めての方には喜んでいただけた。

 

 

6時42分の日の出時刻に遅れること十数分、太陽がまぶしく光る中、一通り景色を眺めた後広場に降り、用意していた大きな焚き火用の材料に火を入れ、火会長が用意してくれた甘酒を頂く。

       

        

 

 

いろいろな情報を交換し、三々五々皆が帰途につく中、Nさんと私は10時近くまで話し込んだ。家にこもっていたら、得られない情報が来る度に得られる、こう言う会は、早起きして来る甲斐がある。

 

転がる丸太は、前の週に開かれたチェーンソー取り扱い研修会の結果である。

 

 

 

その後、実家の隣の家のご主人が珍しく山頂に来ていて、話が出たBSアンテナの調整に出

前縦隔腫瘍(胸腺腫)が発覚、糖尿病だから手術できないと言われ、まずそれを治療、やや良くなったところで摘出手術を受け、特殊な腫瘍なので10年観察すると言われて10年、何事も無く経過して、終わりだったはずが昨年の12月のこと。

 

 

気になる部分があると言われて最後にもう一度診ると言うことで最後のCT撮影、全く問題ないとの結論で、

データを貰って、25日、やっと全てが終わった。
11年目が11月になったのは、病院の規約が2度ほど変わり、

最初は一年先まで予約が可能だったが、それが半年になった。
暮れに予約した半年目の今年の夏に、予約を取ろうとすると、

それがさらに4ヶ月先までしか撮れなくなって、この11月になったと言うわけだった。

 

 

振り返れば、退院後、血液献体だの、紅麹サプリの治験だのに加わり、色々あったが、腫瘍摘出手術に関しては、

胸の骨を切開したので痛み止めをしこたま処方されたが、退院前に止めてから、一錠も飲んでいないし、

糖尿病に関しても、医師は、インシュリン摂取を手術前
に止めてからは、「様子を診て処方する」と言うことだったが、全く処方されなかった。

 

 

食事に注意するだけで、高血糖は落ち着き、高血圧も高脂血も髙コレステロールも、

薬の世話には一切ならずに治ってしまった。今思えばあのときの若い主治医は偉かったと思う。
食事療法は、病院で教えられた従来からの物では無く、独自に勉強していた物だった。

 

その後は、油断が祟って、糖尿病は予備群の上辺りでウロチョロしてしまい、

現在通院中という無様なことになっているが、体調はいたって良好である。

 

第2診療棟の用地にあったナイチンゲールの銅像は、今、千葉中央公園にある。

          

 

病院を紹介する月刊誌があるのだが、最新号には100年史が特集されていた。

 

戦前、東洋一と言われた建物が出来たが、その建物は長いこと病室として使われていて、

父もそこに入院したことがあり、長女が頭蓋骨骨折で入院したのも、その建物だった。

 

 

 

 

              

 

何かあれば、通院している病院の医師に相談せよ、と言うわけで、

データはそちらに渡す資料というわけである。

 

入院してから、病棟や診療棟が新しくなり、第2診療棟まで出来て、すっかり生まれ変わってしまった大学病院だが、

もう2度と来ることも無いだろう。