おはようございます、たけちです。
2024年・令和6年6月23日日曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちは、お台場に行こうと思います。
お台場には品川台場やフジテレビがあるので、ちょっとした社会見学も兼ねて
さて、今日は茨城県の100名城水戸城について紹介します。
【空堀跡1】
水戸城は連郭式平山城、天守構造はありません。
12世紀末に源頼朝の命を受けた馬場資幹によって築かれたとされています。
当初は小規模な山城だったみたいです。
戦国時代佐竹氏が入城するまでは馬場城と呼ばれていました。
【2020年復興した大手門】
1590年豊臣秀吉の小田原征伐の際、佐竹氏は豊臣氏に参陣し、常陸一国を安堵されます。そして、当時馬場城の城主だった江戸氏を攻撃し、馬場城を攻略
佐竹氏は自分の居城であった太田城から馬場城改め水戸城に本拠を移し、大規模に改修、現在の城郭の基礎を築きました。
【2021年より一般公開している二の丸角櫓】
1600年関ヶ原以降、佐竹氏は徳川家康によって秋田に転封
当初、武田信吉、次に十男の徳川頼宣を水戸城に入城させます。
【杉山門】
そして、1609年十一男の徳川頼房が水戸藩主として入城し、以後、徳川御三家(水戸徳川家)の一つとして江戸時代を通じて重要な役割を果たすことになります
【現存する薬医門】
江戸時代、水戸藩は学問や文化の中心地として栄え、水戸学と呼ばれる学問の発展に寄与しました。
特に徳川光圀の時代に「大日本史」の編纂が始まり、水戸藩の文化的影響力が強まりました。
【空堀跡2】
幕末、徳川斉昭という強烈な個性と尊王攘夷のお題の下一時期時代を牽引しますが、斉昭の死後、革新的な天狗党と保守的な諸生党に分裂・混乱してしまい、薩長にイニシアティブを奪われることになります
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