おはようございます、たけちです。
2024年・令和6年5月25日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちは、いつも通り軽くランニングした後、家でゴロゴロしようと思います。
明日、仕事ですし・・・
さて、今日は日本名城紹介!
今回は、宇都宮城です
【堀跡】
宇都宮城は関東七名城のひとつ
輪郭梯郭複合式平城(長い!)
築城時期は平安時代末期、築城主は藤原秀郷または宇都宮氏の祖藤原宗円
と言われています。
いつもの諸説ありあり、です
いつできたかイマイチ不明な宇都宮城ですが、歴史的にスポットが当たることの多いお城でもありました。
まずは1590年豊臣秀吉による
宇都宮仕置です。
これは、秀吉が関東征伐により北条氏を滅ぼしたのち、宇都宮城に駒を進め、関東の国分け及び奥州(東北地方)の大名の配置方針(のちの奥州仕置の方針)を決定したことです。
【天守の代わりだった晴明台櫓】
次に宇都宮城にスポットが当たるのは
1622年本多正純の失脚につながった
宇都宮城釣天井事件
徳川家康と秀忠の重臣として権勢を誇った本多正純
宇都宮城城主として宇都宮城の大改修及び町普請を行い、宇都宮城を近世城郭とする一方、日光への宿場町として整備します。
この際、幕府の意向に従い、晴明台櫓を天守の代わりとし、天守台は設けませんでした。
にもかかわらず、宇都宮城改修は将軍暗殺を企む正純謀反
という噂が立ち、結果、正純は改易されてしまいます
将軍暗殺の仕方が天守に釣天井(天井からオモリが落ちてきて下の人をペシャンコにする)が施されていた💦とのこと
天守台がなかったにもかかわらず・・・
まさにミステリー
出る杭は打たれた、というやつです
【今は富士山は見えないけど富士見櫓】
そして、最後に宇都宮城にスポットが当たったのは
1868年戊辰戦争の激戦地宇都宮城の戦い
当初、新政府側であった宇都宮藩に対し、
鬼の副長こと土方歳三を中心とした旧幕府軍が宇都宮城を攻撃し、激戦の末、奪取します。
その後、体勢を整えた新政府軍が宇都宮城を攻撃、優勢な砲兵火力のもと、再度の激戦を制し、奪還に成功、旧幕府軍は日光・会津方面へ移動、次の会津戦争へと続くのです。
この戦いで宇都宮城の建物のほとんどと城下町の8割が焼失する被害を受けるのです
いつの時代も戦争は碌な結果になりません
【宇都宮城址公園晴明園】
宇都宮城は戦国時代に終止符をうつ仕置、江戸時代の陰謀渦巻くミステリー、そして幕末明治維新の戦場、と各時代でこれほどスポットの当たる城は珍しいかもしれません。
ちなみにたけちが「宇都宮」と聞くと最初に浮かぶのは・・・
宇都宮隆
だったりするのはご愛嬌です