凸凹でトゲトゲで行こう♪
モチベーターコーチの金子剛です。
凸凹してるから調和する。
☆星★みたいにギザギザ尖ってるからイイんじゃない?
トゲトゲしてるからイイんじゃない?
長いところ、短いところが混じってるからイイんじゃない?
そろってないからイイんじゃない?
平均からかけ離れててイイんじゃない?
落ち着いちゃってないからイイんじゃない?
普通じゃなくてイイんじゃない?
互いに補い合える。
新しい形になれる。
凸凹して不格好だからこそ調和するんだ。
丸くなろうとしなくてイイんだ。
もっと凸凹に、さらにトゲトゲに磨きをかけるんだ。
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パーソナルモチベーターコーチ金子剛
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自分らしさと周囲との調和がせめぎ合いを始めたら、
僕にお話ししてみませんか。
とにかく楽しんじゃう宣言
モチベーターコーチの金子剛です。
前向きだとかプラス思考に囚われてると苦しいよ。
当り前に、自然に
何でもプラスに考えられりゃ、それはイイ。
でも、現実問題として、
難しかったり、無理があったりするもんじゃない?
だいたい、
物事や出来事には元々、プラスもマイナスもない。
ただ、
物事や出来事が起こってるだけ。
ひとの心だけが、
それをプラスとかマイナスすとかに仕訳してるだけ。
降りかかる火の粉を
なんでもとにかく<善きもの>として受け止めることは難しい。
それでも、
降りかかる火の粉に出会ったら、
その中で何とか楽しもうとすることなら出来る。
プラスとか前向きとかじゃなく、
起こった出来事をただ楽しむことなら出来るんだ。
ひどい経験だとしても、
ネタにしちゃおうと思えば、それなら意外と出来ちゃうじゃない?
「楽しんじゃうもんね♪」
たとえば、そんな風に決めるだけで
「ゲゲッ!」「まじかよ!」ってことも違ったものになる。
決めちゃいなよ、楽しんでやる!ってさ。
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パーソナルモチベーターコーチ金子剛
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ねぇ、
試しに今日一日はさ、
「どうしたい?」って探すより、
「どうするべきか?」って考えるよりも、
「〇〇〇しちゃおう!」って決めちゃうってのはどうだろうか。
自分がされたら嫌なこと
モチベーターコーチの金子剛です。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
というのは、よく聞かれる言葉。
僕だって、
急に背後からドロップキックを喰らうのは嫌だから、
他の人にもやっちゃイケナイと思う。
それは百も承知の上であえて問いたい。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
って、本当に正しい?
この言葉は、
僕が子供の頃にも聞いたような気がするけれど、
いつも違和感を覚えるんだ。
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
の根底には何がある?
どんな考えを基にして語られてると思う?
僕はこう思う。
「他の人もあなたと同じ」 という前提で語られてると。
そして、
この言葉には大体つぎのような言葉が続く。
「だから、自分だったら嬉しいと思えることを人にもしてあげましょう」
.....
一見すると(一聴すると?)、
相手の身になって、相手を思いやる言葉のようだけど、
とても怖い言葉じゃない?
あなたが喜ぶことは、他の人も嬉しい。
だって、他の人もあなたと同じだから。 って、考え方でしょ?
たしかに「嫌なこと」は、
共感・共有できることが多いかも知れない。
だから、
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
というのは未だ悪くないとしても、
「自分だったら嬉しいと思えることを人にもしてあげましょう」
ってことになると、
「ほんまかいな?」と、思う。
当り前だけど、
嬉しいとか楽しいとか、心地良いって感覚も、人それぞれだ。
「落ち込んでる時はそっとしておいて」という人もいれば、
「落ち込んでるから一緒に騒いで!」という人もいる。
たとえば、そんな風に落ち込んでる時に
自分の望んでることと真逆のことをされたらどうよ?
まして、
相手が「私のために」「心から」そうしているとしたら?
「自分がされて嫌なことを人にしてはいけません」
「自分だったら嬉しいと思えることを人にもしてあげましょう」
どちらも間違ってる訳じゃない。
ただ、決して万能じゃない。
人とのコミュニケーションを考える上での
「最初の足掛かり」程度のものだ。
それなのに、
絶対の方程式のように振りかざして、まき散らしてる光景が目につく。
「同じとこもあるけど、違うところもある」
そんなこと、
当り前じゃないか。誰だって知ってるじゃないか。
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「よかれ」と思って差し出す善意ほど、
気をつけたい。
だから、あなたの<自由>が鍛えられる
モチベーターコーチの金子剛です。
たとえば、あなたが椅子に座っていて、
そばに立ってる誰かが話しかけてきたとする。
文字通り、上から目線になるよね。
で、これまた文字通り「見下げる」ようにあなたを見ている、
とする。
話の内容もネチネチと嫌味っぽい。
たとえばこんな状況だったら、
「悪意を持たれてる」って思っちゃうのも仕方ないよね?
目や耳から入ってくる情報を基に
あなたは何かを感じ、それを通してまた相手を見る。
そして改めて
「嫌われてる」とか「いじめられてる」って感じ取る。確信を得る。
そしてそして、さらに今度は
同じような態度や声で話す人に出会うと、
「あ、この人も私を嫌っている」と受け止めるようになる。
もちろん、
実際にその人はあなたを嫌ってるのかも知れない。
見下してバカにしてるかも知れない。
でも、
実はその正反対で、尊敬してるあまりに
ドキドキし過ぎて、カチカチの緊張状態なだけかも知れない。
もしかしたら、
寝違えて首と肩を痛めてしまったために
ロボットのように固まってこわごわと話してるだけかも知れない。
ほんとのところはわからない。
わからないけど、ここでは
「これは悪意を持っているんだ」という視点から先ず、離れること。
あえて
「善意から」「良かれと思って」の言動だと想像を膨らませることで
あなた自身の中にある<自由>が鍛えられるんだ。
だって、悪意としか思えないことを善意によるものとして
想像するんだよ?
感じてることと180度違うことを無理に想像しろ!ってことだよ。
これは、今の自分の枠からハミ出して、
自分の考えや感情を飛び越えないと、できやしない。
自分のこれまでの「とらわれ」から解放する作業なんだ。
僕たちは
自分の思考にとらわれ、印象に目を奪われ、感情をかき乱す。
自分が思ったように、勝手に世界を決めつけて捉えてしまう。
そして、
あきらめたり、毒を吐いたり、いじけてみせる。
誰かの言動や自分の思い込みに左右され、振り回される。
不自由になってしまう。
自分が主体なのを捨てて、ハンドルを手放して、不自由になってしまう。
そう、事実かどうかよりも、
自分というフィルターを通して映る世界が絶対的なパワーを持つ。
誤解や思い過ごしだとしても
自分が感じ取ったことが、その世界の温度や色彩を決定づける。
そこが
どんなに広ぉーくて、高ぁーくて、深ぁーい世界だったとしても
結局は、自分という小さな世界の中にいるんだ。
フィルターという窓を通して世界を見てるんだ。
だからこそ、
いつもの思考や感覚の逆を想像して突き詰めてみる。
悪意でなく、善意だと考えるんだ。
その作業は、かなりキツイし、不快だし、楽しくない。
「もしも善意なら」とイメージできても、
相手を許せる訳でもないし、スッキリした達成感も持ちづらい。
だけど、そこで自由が鍛えられるんだ。
相手の在り方や自分の枠組みを超えなきゃ出来ないからこそ、
自由が鍛えられる。
今までの自分からハミ出して、これまでの考えや感情を超越するから
自由が鍛えられる。
自らを由とするトレーニングになるんだ。
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相手次第、状況次第、条件次第で
もたらされてるとしたら、それは自由でなく「他由」。
自らを由とするとき、人は何時でも誰でも何処ででも自由になる。
「お前の母ちゃん出べそ」のパターン
モチベーターコーチの金子剛です。
僕のご近所さんに良い声をしたおじさんがいる。
挨拶の時も元気でハリのある声で応えてくれる。
しかし、勿体ないことに、
僕から「おはようございます」と言わないと
おじさんは挨拶しない。
決して、自分から「おはよう」とは言わない。
前々回の話じゃないが、
決しておじさんに悪意は無いと思う。
じゃあ、悪意が無いなら
何故、おじさんは自分から挨拶しないんだろうか。
あなたなら、どう考える?
こちらをバカにしてるのでも、
人として扱っていないのでも無いとしたら、
何故、おじさんは自分から挨拶しないんだと思う?
たとえば、
以前は自分から挨拶してたのに、
誰も挨拶を返してくれなくて、心が折れちゃった?
ハリのある通りの良い声なもんだから、
驚いた子供に泣かれたことがあって、臆病になってる?
それとも、
自分が年長者だから、
若輩者から挨拶すべきだと思ってる?
「挨拶するなんてもったいない」から?
こんなとき、
「考え方が幼稚だからしようがない」と思えば、
少しは僕の気持ちもおさまる。
決して自分から挨拶しない相手を許すこともできる。
できるけど、
これじゃあ、自分を上の立場に置いて、
下に相手を見てるだけで、
無理に泡立った思いを抑えてるだけじゃない?
「スッキリ!」って感じじゃないよね。
「お前の母ちゃん、出べそ!※」って子供の捨てゼリフみたいでしょう。
※注:昭和の子供の口ゲンカでの常套句
ここで
もう一歩進んだ別の見方・捉え方もできる。
「幼稚な」
「仕方ない」
という上から目線じゃなく、ね。
そして、これができると...
否、ちゃんとできなくても、そこまで意識を広げられると、
自分自身の「自由」を鍛えることが出来るんだ。
つづく
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「経験は宝」だけれど、
「経験」が思考や行動をパターン化させるのも事実。
<宝>でありながら、同時に<わな>にもなるんだ。
「取扱い注意」である。
