ズーの性別が男の子ってわかる前は、正直女の子に期待していた。


男の子ってわかった瞬間、ガッカリまではしなかったが、あー、なんだ男の子か……って感じの気持ちになった。




それから1年数ヶ月後、ハスイを授かったときも今度こそ!という思いで女の子に期待している自分がいた。


そして男の子だってわかった瞬間、さながらあの白塗りのお笑い芸人のように、チックショーっていう思いが込み上がってしまった。



そんな後ろ向きな気持ちで平静を装っていてもどうやらそれはムダなあがきらしく、妻にすぐに本音を見抜かれる結果となる。



「せっかく生まれきてくれたのに、なんか子どもが可愛いそう……」


と、そのようなニュアンスでガッカリされてしまったのだ。







私はすぐにハッとなった。


たかが性別ごときで私は何をそんなにこだわっていたんだろう、と。いや、血迷っていたんだろう、と。





それは、自分の子どもが生まれてくる生命の、性差別をほのめかす行為に他ならなかった。






ズーが生まれたときはコロナ時代の真っ只中で立ち会いも叶わなかったが、ハスイのときはそれが実現し私は自然と涙が溢れ落ちた。



これほどまでに人は流せるものなんだと、驚愕するぐらい、ひたすらに何度も何度も涙が頬をつたった。



ただ、それはひょっとすると感動の涙ではなく、謝罪の涙かもしれなかった。


男の子であるズーを、ハスイを、まるで否定するかのような態度をとってしまった彼らへの深い深い謝罪の涙に思えて仕方がなかった。





せっかく生まれきてくれたのに……。


その言葉はとても重く、容赦なく私の背後に隕石の如く何度も何度も落下しつづけた。


尊重するべきはずの命を軽視し、私は感情的に言葉の虐待を発してしまったのだ。




実際に生活(子育て)をしてみると本当に性別なんてどちらでもよかった。そんなことよりも五体満足、健康男児であることにただただ感謝の思いでいっぱいだった。





ズーとハスイが、私の元に男の子として生まれてきたのにはきっとそれ相応の理由があるはずだった。


女の子として生まれてくるにはどうしても不都合な、なにか特別な理由が。




そんなふうに解釈してみると、むしろ男の子で生まれてきてくれてよかったんじゃないか、という感情さえ芽生えた。



勝手気ままな意見なのは重々承知だが、無理くりそう結論を丸め込むことでしか、ここから先の未来に光は照らされないようなそんな気がした。




「お父さん、その涙はなんの涙なの?」


生まれたばかりの赤子のハスイから視線を感じたとき、そんな質問をされている錯覚に陥った。



「これはね、ハスイくんが元気に生まれきてくれて安心して出た涙なんだよ」




今なら心からそういえる。