私が両親から「お小づかい」をまともにもらい出したのは、たしか10歳ぐらいだったと記憶している。
紙幣をもらう瞬間の喜び、自分の好きなものを買える楽しみ、貯金が溜まっていくときのワクワクした気持ち、お金にはたくさんの魅力があふれている。
はやくから子ども心なりにその魅力に触れてもらいたく、ズーとハスイにはすでにお小づかいを与え、それぞれの貯金箱まで持たせている。
ただし、家のお手伝いや部屋の片付けなど、自発的に行動に起こしたときにのみ、お小づかいはその対価として発動する。
金額は定めてはいないが、仕事の報酬を基準に考慮するのであれば家の貢献度レベルによって査定額は変わる。
たとえば自分で遊んだオモチャの後片づけは、やってあたりまえのことだけどそのことに気づけたから10円。ごはんを残さずにしっかり食べたら10円。トイレトレーニングをするにあたり、便意を察してオムツではなくトイレでウンチができた場合は100円。親の姿を見て料理や洗い物を手伝えば200円。場合によっては500円、といった具合に。
2歳と4歳に報酬型のお小づかい制度にするのはいかがなものかと考えたりもしたが、むしろ意味がわからないなりに「賃金=労働の対価」であることを知り、お金の価値を知るきっかけとしては良いのかもしれない。
貯金箱が満杯になり、貯まったお金で好きな買い物をする。ともすれば、この成功体験が今後のモチベーションにつながれば御の字だろう。
さて。やれ電子マネー、やれキャッシュレス決済といわれて久しい現代だが、やはり昭和末期生まれの私としては紙媒体も捨てがたい。
紙幣や硬貨はお金の説明と理解をさせる格好のツールにもなるし、新札が入っていたらうれしいし、ギザ10があったらオッ!ってなるし、小銭に500エン玉がいっぱい入っていたらなんか得した気分になるし、財布に膨らみがあれば気持ちにも余裕が生まれてくる。
カタチあるものは不便に嘆かれる一方で、人によっては付加価値として重宝され続けている。
その最たる例は、私は本であることを想像する。まずは手に取る存在感、読み応えを感じられる紙の厚み、そして読み戻しする際の手っ取り早さ。
これらは電子書籍では味わえまい。給与だって銀行振込や電子明細ではなく、個人的には現金手渡しが望ましい【茶封筒に入った給与袋が労働者にねぎらいを与えてくれる、そういった意味で】
小学生ぐらいにもなれば欲しいモノも増え、おカネも増やしたいと思うようにもなるだろう。
そんなときに報酬型のお小づかい制度の魅力が一気に爆上がりするだろう。
やったこと(労働したこと)をリストアップし、1ヶ月の出来高でお小づかい(というよりも給与)を査定する。
こうして月末に茶封筒に入った現金を手渡しし、労を労う。
カタチあるものの喜びをぜひ堪能してみてくれ。
上限は決めずに5,000円でも10,000円でも増やせる仕組み化にしたい。
年末は少し色を付けたりなんかしてさ。
takenoco


