私の親世代(団塊の世代以降)の旦那さんにありがちなこだわりの1つ、といえばおそらく「夫婦間での主導権(関白的な意)」だろう。




無論、すべての旦那さんがそうではないのは承知なのだが、私が知る限りでも主導権にこだわる人は自分の父親を含め相当数いるように思う。



定位置に座ったらその場所から一切動かないとか、掃除洗濯家事は一切やらないとか【さすがに旦那さんより先に家族は風呂に入ってはいけない、というルールまでは聞かないが】。




これは戦時中・戦後の名残りだから仕方がないといわれればまあ済まされる話なのかもしれないが、多様化する令和の世に「女がメシを作るのはあたりまえだ」なんて口にすれば報復を受けること請け合いだ。



そもそも家庭内で上下関係を定めること自体が男女差別、男尊女卑のきっかけを生み出しているように思えて仕方がない。




旦那さんが外で金銭を稼いで一家を支えているからエライ(主導権がある)というのが理由だとすれば、夫が仕事中に家事や掃除や育児をこなす三刀流の嫁さんは「もっとエライ」という考えだってできる。




私の感覚的には、金銭という対価が発生する仕事よりも24時間営業で金銭が発生しない育児や家事の方が消費するエネルギーは膨大である。




理屈からいえば、たとえストレス社会の複雑な人間関係であっても相手は大人だし、極論、わからず屋が相手でも話し合いはできる。



ところが子ども(未就学児)の場合だとそういうわけにはいかない。




意味不明の言動だったり自我の主張だったり、理性的な会話のやり取りがまるで成立しない。





立場が逆転する世界を思い描いたとき、私は妻の役割は到底つとまらないであろう結果は想像にむずかしくなかった【自分が育てると決めた子とはいえ、だ】。




だからこの時点で「主導権」という肩書きなんてものは存在せず、それどころか価値そのものにまったく意味を見出せなくなってしまっている。







平等である方が夫婦間はうまくいくだろうし、たとえ理不尽なことをいわれてもその場では反論せずに納得(したフリ)をし、時間が経てば忘れる(忘れてはならないこともある)、それでいいんじゃないかな。





私は、妻(と、いうよりも感覚的にはいち女性)に1日の出来ごとを喋りたいだけ喋らせて、相槌や片手間スマホは行わずにしっかりとその話に耳を傾け、なおかつ自分の意見はいわずただ同意だけをして気分良くさせていれば夫婦関係が円滑に廻る、という事実をよく知っている。



それでおいしい晩御飯が提供されるようものなら、食の時間がもっとも幸福で満たされる私にとってそれ以上に報われるものは何もない。



相手も満たして、自分も満たされる。まさにウィンウィンの構図である。






ただ……ただ、だ。




主導権を握っている優越感がこれ以上にない幸せであるのなら、それも一興なのかもしれない、が。





遺伝子的に主導権を継承するなら、さてどっちだろう