広島の超初心者ゲージマイスターたけのブログであります。
さきほど
ブログに載せた「ヒロイン」という詩は、もう10年くらい前に、恥ずかしながら私本人が書いたものです
読み返してみると
とても主観的で幼稚な詩ではあるのですが、
いまの私には書けないダイレクトな詩に仕上がっていて懐かしく読み返していました。
私が敬愛してやまないASKAの詩集に
「オンリーロンリー」という作品があります。
このころの詩は、そのASKAの詩集にとても影響を受けているのがわかります。
若かりし頃のASKAの詩も、いま読み返すと、とてもかわいくて、自分が歳をとってしまったのだなぁ、、と思い知らされます

詩は、
言葉の寺と書いたり、
または
詞、
つまり言葉を司ると書きます。
どちらを用いてこの散文詩を
詞、詩、
と表していいのかはわかりません。
ただ、
私の中から
溢れ出た言葉であることに間違いありません。
まだまだ
言葉たちの寺
となるような詞は書けません。
ましてや
言葉を司っている、などと形容するに相応しい存在には
この一生を賭してもなれそうにはありません。
私の中にある
限りある言葉の羅列にしか過ぎない
単なる
し
です。
少しでも、
感じ入ってもらえれば幸いですが、
人それぞれ景色は違います。
あの頃の私の詩を
今の私が書き直したい衝動にかられるように、
どうやら
言葉には
賞味期限があるようです。
だんだんと
ぼやけていく。
ですが、また、
それすらも
言葉の持つ魅力のひとつであると、
私は私の10年前の作品を読み返して、気づくことが出来ました。
10年前、
この詩を書いた時と同じような甘酸っぱさは、10年経ったいま読み返してみてもまだ変わりません。まるで缶詰していたかのように。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます