後見人
認知症に関する教育を受けると、必ず権利保持の為の方策として‘成年後見人’制度の話が出る。
先日、この制度を利用することで選挙権を奪われることは人権侵害だとの訴えがあり裁判が行われた。
国民の義務は納税・労働・教育やったっけ…?まぁいいや
判決は原告勝訴だった。
そんなこと、制度設計の時に想定しなかったのだろうか?そういう意味で失笑した。
現在、後見人のニーズに対して成り手不足が続いている。
本来は家族が担う事を想定していたのでしょうが、思った以上に家族との繋がりを持つ者が少なかったのだろう。他人や裁判所の認定によって後見人に成る方が増えているようだ。
市民後見人を育てるなんて自治体も多い。
一番の疑問は、後見人に成る方のメリットは有るのか?善意に制度が依存しているだけではないのか?
ある後見人の方は弁護士で、熱心に役割を果たしておられたが非常に多忙でお金もかかると苦悩しておられた。
そら交通費を後見人の対象者から貰うなんてやりにくいだろう…
昨年、国が出した自殺者予防対策が‘地域で孤立無きよう見守りあおう…’だった。
いい加減、介護や福祉を善意に委ねるのは止めにしようや。
知能と補助
先日、ニュースで一歳児が踏切で列車に轢かれ亡くなられたと報道があった。お悔やみを申し上げます。
誰も得をしない事故で…防ぐことは出来なかったのか?
以前から介護やプールでの仕事のお陰か、周囲への注意力の範囲が拡がったと感じている。
だからか逆に世間の不注意が特に街に出ると気になって仕方がない。
目の前しか見ていない。目の前すら見ていない。なんて人をざらに見る。周囲で起きている変化に気付かない。
マナーの低下なんて言われるが、これだって注意力・意識の低下とリンクしてはいないか?
車社会が拡がって、自家用車での移動が増えた。車内の乗車マナーはその家庭に一任され基本自由だ。親が注意しなければマナー自体を意識しないかも知れない。だからか自家用車の利用増加に比例して電車などの公共交通機関の利用マナーは低下している気がするのだ。
公共交通機関で傍若無人に見える人達は、自家用車での移動が当然の社会で育ってきた人達なのかも?マナーを知らないだけなのかも知れない。
親は親でしつけを行うより、世間の目から隔離する方が楽なのではないか?駄々をこねる子どもをつれ回すには自家用車やベビーカーの方が親の思い通りになるし楽だ。
でも便利の代償として、大切なものを失って来ているように感じるのはなんだろう?
周囲への気配りや注意をどんどんしなく成ってきてるような印象を受けるのだが…
ベビーカーになれたからか、幼児が親から離れて遊んでいても意識を切っている母たち。携帯電話をさわりながら周りを全く無視している人。座席に荷物を置く人。通路をふさぐ人。制服のままで、私用時間に態度の悪い人。広告の入った社用車で無謀運転をする人…
数え挙げたら切りがない。何かが起きてからでは遅いのだ。
そして起きたら人のせい…
世の中どうなってしまうのだろか?


