My running life | take-u-higherのブログ

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My running life ①

走り始めたきっかけは息子のサッカーの審判をしっかりやる為でした。週末のサッカーの試合に向けて木曜日に3kmだけ走る。その3kmで息も絶え絶え、汗だくになっていた自分。しかし、走る事に楽しみを見い出し、走る事が目的になってきたのが2011年の2月ぐらいの事。徐々に走る時間と距離は伸び、1時間休まずに走るれるようになり、10km走れるようになり、やがて10kmを1時間で走れるようになる頃には、何時間でも何処まででも走れるのではないか? という感覚に身体中が喜びで一杯になったのを今でも思い出します。自分がランナーである事を実感した瞬間。そんな自分のランニングライフを印象に残ったレースと共に振り返ってみました。
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走り始めたのと同時期にフェイスプックも始めました。『朝ランくらぶ』というFBのグループに入ったおかげで日本全国のランナーと友達になる事が出来ました。会ったことも無いのに日本の何処かで同じように走る仲間がいる。とても新鮮で刺激的。今までの退屈な人生がガラッと変わったのです。そのFBのランナー仲間が様々なレースにエントリーし、その結果を投稿する。それを見る度にいつか自分も と思いを募らせていました。まだまだ自分は初心者だったのです。

2011年の11月。初めてのレースは地元の足利尊氏公マラソン。ハーフマラソンの大会です。この頃にはハーフを1:40ぐらいで走れるようになっていました。
初レースなのだから楽しく完走できれば良いのかもしれませんが、自分は一つの目標を胸に秘めていました。90分切りです。
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スタートからほぼ全力。身体は酸欠、、酸素を求めて喘ぐ、、本当にキツかった、、けれどゴールした瞬間、喜びが爆発しました❗️初レースで90分切り。目標達成。ランにのめり込んでいきました。



その勢いに乗って翌月に初のフルマラソン42.195km、佐野マラソンに挑むつもりでした。しかし、その矢先にアクシデント発生、、、
レースの2週間前に酷い腹痛で起き上がることもままならず、病院に担ぎ込まれると、即入院。
腸閉塞という診断でした😱
外科的な手術等はありませんが、口から管を入れられ胃腸に詰まった物を上から吸い出すという荒療治、、、辛かったなぁ  4日間飲まず食わずの点滴。
普通の人ならばレースの出場は諦めますよね❓
でも、自分、どうしても諦めきれず。1週間で退院するとランを再開。家族の白い目を無視して、初のフルマラソンを走る事にしたのです😅
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こんな状態でも目指したのは3時間10分を切るタイムw  万全ならば本気でイケると思っていました。ハーフで折り返すまでは95分だったのです。
でも、結果は4時間34分20秒。 フルマラソンを完走したわけですが、ハーフ以降は殆ど歩き続けた長い遠足。棄権すれば良かったのかもしれないけれど、初めてのマラソンを最後までやめたくなかったのです。  天国から地獄  その後のrunninglifeを象徴するような出来事でした。

その後、板橋CITYマラソン、霞ヶ浦マラソンなど様々なレースにエントリーしましたが、満足のいく結果は得られず、いつも30km辺りで脚が痛みだしてしまい、そこからは歩いたり、走ったり。腸脛靭帯炎。多くのランナーが悩まさせる症状です。

それでも翌年の尊氏マラソンではハーフの記録更新。1時間27分23秒 ハーフの自己ベストです。
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 2013年の6月には東京柴又100km  ウルトラマラソンに挑戦。12時間44分42秒で完走。仲間の応援に助けられました。
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その後、フルマラソンでもなんとか最後まで走りきれる様になり大田原マラソンでは3時間30分を切れるところまできました。でも、まだまだ。自分はもっと先に行けると信じていました。

2014年の3月。古河ハナモモマラソンでようやく自分らしい走りが出来ました。
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3時間16分54秒  
15分という節目の数字を切りたかったなぁ、、
その後もチャレンジは続けましたが、結局これがフルマラソンの自己ベストとなりました。

走力がついてくるとロードだけではなく、山の中を走るトレイルランニング(トレラン)にも興味を持ち始めました。トレランは今でこそブームになっていますが当時はまだ競技人口も少なく、ブームを先取りする様な形でトレランにものめり込んでいきました。

続く。