㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
誰もいない、というのは言い過ぎだな、とジェシンは薬房の扉を勢い良く開けた。ここは急病人が出た時に備えて、書吏を一人宿直させている。チョン博士の右腕のような、壮年の書吏であるジュンボクという男がいることが多い。時に違う者に替わることはあるが、そんなことはどうでもよかった。
物音に気付いたのか、ジュンボクが薬房の奥にある扉から出てきた。そこは薬剤などの倉庫にしているみたい、と薬房に一番世話になっているユニが言っていたのを思い出したが、そんな薬臭いところ、それに大事なものを湿気させないようにしているところに男を寝かせるわけはなく、実際簡単な夜具のようなものは奥の板間の隅に敷いてあった。それならばジュンボクはなぜ倉庫に入る必要があったのか。そしてジュンボクが驚き慌てているのも、何か隠し事があることの証左だった。
「ここに・・・男が入っていくのを見た。知らねえか?」
「俺たちはキム・ユンシクを探しているんだよ。寝ていたはずの部屋からいなくなっているんだ。」
ジェシンとソンジュンが口々に言うと、ジュンボクは唇を震わせて扉を隠すように背中を付けた。
「・・・そこに誰かいるのか?三人で男の後ろ姿を見てるんだ。出ていったところは見ていないから、ここにいるはずだろ?」
「うん、いるだろうね・・・香の匂いが残っている。テムルから嗅いだことのある・・・この間ここで眠るテムルの傍にも残っていた・・・。」
それまで黙っていたヨンハがポツリとこぼした途端、ジェシンが動いた。板間に上がり込み、たちまちのうちにジュンボクを追いやって扉を開ける。ジュンボクは抵抗できなかった。身分が違い過ぎるのだ。書吏は成均館のすぐ外にある泮水の集落の出のものが鳴ると決まっている。そこに住むものは、奴婢ではないだけの国の最下層の身分だ。就ける職も成均館の下働きと決められ、泮水から一生出られない。儒生たちは皆両班の身分、国ではもっとも高い。元から抵抗できない立場なのに、それこそ自分が後ろめたいことをしているときになど体が動くわけがない。がっくりと項垂れたジュンボクを見ながら、ソンジュンもジェシンに続いたが。
「いねえ・・・。」
ずかずかと入ったジェシンは、倉庫を見回した。広くはない。人ひとりが通れるほどの通路は散歩でいきどまる。棚には木箱と書物が整然と並んでいて、棚の下には大きな壺がいくつか。
くん、と鼻を鳴らしたジェシンは、足元の板張りをどん、どん、と踏みつけた。ソンジュンは壁を眺めながらジェシンの後についていく。突き当りには他のものより小さな壺。その前でもう一度足踏みしたジェシンは、ひょいとしゃがみ込み、壺をずらした。軽いな、という言葉の通り、何も入っていないようだ。その壺の下の板張りの壁際に、綱が輪になってはさがっているのが見えた。
「ここあたりだけ音が軽い・・・下が空洞だ。」
そう言うと、ジェシンは綱を思い切り引いた。すると小柄なものなら、そうユニぐらいなら余裕で通り抜けられるほどの幅で板が外れたのだ。その下には綺麗に均された土が見えた。
すっくと立ちあがったジェシン。背後から覗き込んでいたソンジュンと、遅れて入ってきたヨンハが一斉に振り向いたので、扉の傍で怯えているジュンボクは更にびくついた。
おい、とジェシンが顎でソンジュンを指した。軽くため息をついたソンジュンは、二歩歩いてジュンボクの前に立った。
「お前に何を聞いても仕方がないと分かっているから、チョン博士との面会を頼みたい。それぐらいは聞き入れるように。そうでなければ、この抜け穴などを調査するよう言っていく場は俺たちにはいくらでもあるんだよ。」
頷くジュンボクに、すぐにだ、とジェシンが脅しをかけて、三人は倉庫を出た。無言で薬房を出ようとする三人に、震えていたジュンボクはそれでも声を掛けた。
「あ・・・多分テムル様は部屋にお戻りです・・・眠っておられるでしょうから、起こさないで上げてください・・・。」
「俺たちがいないんだ。不思議に思っておろおろしてるんじゃねえか?」
ジェシンが鋭くにらむと、ジュンボクはどうでしょうか、と声を小さくした。
「すぐにお眠りになれるように処方したと聞いております。体には悪いものではないのですが、また体を壊されるとお気の毒なので、と・・・。」
「・・・その話は博士から聞こう!」
ソンジュンが言うなり、ジェシンと共に走り出した。後からヨンハもヨタヨタと走って行く。その後姿を見送り、ジュンボクはへたへたと腰を落としてしまった。