㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
婚礼の前日、ユニは実母と共にムン家に朝から戻ってきた。ジェシンの母が迎え入れ、婚礼の準備に慌ただしい屋敷の中、内棟に案内され、歓待を受けた。ユニの母がムン家に来るのは、これが初めてだった。
手をとり合う母たちを少し涙ぐんでみていたユニは、どのみち夕刻になれば今日は母たちと共に寝かせられると予定を決められていたため、屋敷内を少し見て回ることにした。明日から自室となる部屋を覗き、しん、と静まり返って整っている様子を見た後、成廊棟に行って広々と開け放たれた客間を含む部屋部屋を眺めた。こちらは宴の場になる。すでに席などが設えられ、ユニに気付いた下女に手を引かれて花婿花嫁の座を見せられて、ようやく婚儀が本当に行われるのだと実感して頬を染めた。忙し気に座を設け、あちこちを拭いて回っている下女たちが手を止めてほほ笑むほど、それは初々しくかわいらしい光景だった。その少しからかいの入った好意的な微笑みから逃げるように、ユニはジェシンの部屋に向かった。厨の方から甘い湯気の香りが漂ってくる。明日は大勢の客が来るという。屋敷内での準備だけでなく、外から仕出しも多く頼んでいると聞いていた。ますますその大がかりさに赤面して、ユニはジェシンの部屋に駆け込んだ。
ジェシンは夕刻まで仕事だと聞いていた。花婿の準備などたいしてない。ユニは夜中には準備を始めなければならないとジェシンの母から言い聞かされ、だから今夜は早くから寝床に行くことを命じられたのだ。勿論準備を見守るために、母二人もユニと同じ時刻から置きだすつもりだから、それこそ日のある間にユニは床に入らされるだろう。ジェシンには今日中には会えないかもしれない。
けれどジェシンの部屋は彼の香りに満ちていた。落ち着く墨と紙の香り。壁には深い藍色が窓から入る光を跳ね返している。その上等な絹の光沢は、婚礼衣装だ。ユニの深紅のウォンサムと対を成す美しいその藍にユニはそっと顔を寄せた。
実母は、ユニが見せたジェシンの詩のいくつかをゆっくりと読み下してくれた。目が悪い母には読んで聞かせてあげるのが一番だと分かっていたが、こればかりはユニは読めなかった。何度も読み返し、清書した詩。まだ全部は読み切っていないし、いくつかはジェシンの手元でもう一度形を整えられるものもある。けれど、ジェシンがその時の気分のままに書き散らした言葉こそ、ジェシンの心をそっくり写したものだと、今はユニも気づいていた。だから気恥ずかしかった。どれをとっても誰かを思う言葉ばかり。それがためらいもなくユニに手渡されたという事は、誰かが誰かなのかは明白だ。自らを思われ、讃えられた詩を朗々と音読する勇気など、ユニにはなかった。それがあまりにも美しい言葉だからこそ、余計に。だから、そっと見せたその詩を、ユニの母にゆっくりと時をかけて読んでもらった。一応清書したものを。言葉は美しいけれど、ジェシンの字は中々に悪筆なので。
実母は読み終わった後、多くの感想は言わなかった。けれどその紙を返すときに深く頷いて、安心をした、とほほ笑んだ。ユニは戻されたその紙を胸に抱き、母の言った言葉の意味を考えたけれど、それはあまり分からなかった。ユニにとってジェシンといることは元から心安らぎ当たり前のことなので、安心に込められた意味など、あまり関係なかったから。
その日から数日、ユニは実母と過ごした。そして今日、ムン家に戻ってきたのだ。お母さま、他家の部屋でお休みになれるかしら、と心配がもたげたが、自分だって明日の婚礼を思い、そしてまた早すぎる就寝に、眠る自信などない。とにかく体を横たえているだけでいいけれど、お母さまは眠ってほしいわ、といつも母よりも先にね落ちてしまう自分を忘れてしまっていた。
だから、母がこの数日、どんなにぐっすり眠れたか、など、知る由もなかったのだ。
軽食にお呼びですよ、と下女がユニを探しに来た。軽く食べ、母たちの会話に加わろう、そう思った。ただの娘として甘えられる特権は今日までなのだ。二人が変わってしまう事はないと確信していても、ちゃんとムン家の若奥様にならなきゃいけない自覚はあるのだ。何しろ、大科三位の前途洋々な若き官吏の花嫁になるのだから。