赦しの鐘 その95 | それからの成均館

それからの成均館

『成均館スキャンダル』の二次小説です。ブログ主はコロ応援隊隊員ですので多少の贔屓はご容赦下さいませ。

㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。

  ご注意ください。

 

 

 インジョンの鐘は定刻に鳴る。毎晩。毎晩。その鐘が鳴れば、許された人以外は出歩いてはならない。都の治安を守るためだが、見回りの者以外に、一部の役職の者、そして成均館の儒生なども許されているのだから、それほど厳しい夜間厳戒令ではない。妓楼は夜中明々と灯がともり、博打場も開かれている。しかし道からは人通りが途絶え、静まり返って音が消える。そこに響く鐘の音。

 

 ユニは時折実母のところに泊まった。あからさまな怯えは見せないと言うが、夜になると早々に床に入り、そのうち耳の上までしっかりと夜具をかけて休む母の姿を、哀しそうにジェシンに訴えてきた。官吏として研修が始まったジェシンに遠慮しながらも、その朝、夕の支度を手伝いながら少しだけその悲しみをこぼす。ジェシンはそれに何も言ってやれない。心の傷が言葉で治るなら、いくらでも紡ぎだすのだが、それが出来ないのは自分の母の子を失った悲しみの日々を見ていたからよくわかっている。今だって完全には癒えていないだろう。だが、育ちあがったジェシン、そして間もなく妻を得るもう一人の息子の幸せに、ようやく哀しみの一区切りがついただけの話なのだ。いつまでも愛息子のことは忘れることなどない。だから、失った悲しみが、せめて楽しい思い出に支えられるまでの時が必要なだけなのだ。

 

 ユニの母は、悲しみや辛さを癒すときが圧倒的に足りていないだろう。自身も事件の時に負った目の負傷で体にすら苦しみを負った。更に、よそに預けた娘の心配と申し訳なさ、目の前で苦しい呼吸を繰り返す幼い息子の看病。暮らしの心配。全てを背負ってきている。それが長く続いた。ユンシクの体が、成長と共に勝ち得てきた体力によって持ち直すまで。そこまでユニの母の心の傷は、ただそのまま残っていただけだった。いや、その後続いた苦しみによって広がったのかもしれない。今は隠すことが上手くなっているだけなのだ、とジェシンは思う。

 

 けれどユニには言わなかった。言ってもユニが苦しむだけだ。唯一の方法は、ゆったりとした暮らしの中、ユンシクが生き生きと働き、ユニが幸せな花嫁として生きていくのを見せることだ。そして二人の子供が母を思い、共に過ごす優しい時間だ。だからユニに言ってやれることは一つしかない。

 

 「俺たちがお母上に尽すしかないな。」

 

 ユニが、とは言わない。ユンシクにさせろ、とは言わない。俺たちが、なのだ。ジェシンもユニ達の母の義息子になるのだ、させてほしい、それしか答えはない。孝行の中には、ユニの幸福な顔を見せ続けるというものも含まれている。まもなく婚礼の日がやってくる。いつも通りの屋敷の風景が、その日を境に変わる日。変わっても、ユニが幸せな娘から幸せな新妻になるだけのことだと、ユニの母に見せなければならない。そうする自信はある。ユニはジェシンのすべてなのだ。ジェシンが幸せなら、ユニは幸せなはずだから。

 

 なんだその勝手な理論は、とヨンハなら言うだろう。別の人間が言っていたら、ジェシンだってそう思うだろう。しかしユニとジェシンは、ユニが幸せならジェシンも幸せで、その逆もしかり、なのだ。共に育ってきた15年を跨ぐ月日は、二人をそうやって添わせてきた。ユニを守るジェシン、ジェシンの心を守るユニ、それは無意識にお互いがしてきたことだ。立場が変わって、更に二人の絆は強まり、更に近くで添う。一心同体となり、人生を紡ぐ。そこにある幸せも苦労も、二人が同じくして感じ、背負う。だから二人はこれでいい。

 

 ユニの母に知ってもらわねばならない。ユニは幸せになる。だから大丈夫。あなたが恐れるあなたの及ぼす悪運などない。お互いが守り札となっている二人が添うのだから。鐘の音は、あなたの怖れるその悪運を呼び起こさない。鐘の音が聞こえても朝が来て、その朝に輝く笑顔の娘に会えたら。それが証拠だ。

 

 二人の婚礼は、間もなくだった。

 

 

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