㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
街道の向こうから歩いてくる二人を見つけてジェシンはほっとした。ユンシク一人なら、頼りはないが心配するほどではない。やはり男だから。誰が通るかわからない天下の大通り、娘、それも両班の令嬢と分かるユニに好奇心を抱く男が歩いていてもおかしくない。ジェシンはもたれていた木から体を起こすと、大股で二人に近寄った。
「お兄様!」
明るい声にほっとした。朝の母の話は完全に封じ込めることができた。ユニの呼びかけがどんな名であろうと、ユニがジェシンだけに呼び掛けるならそれでよかった。兄という呼びかけであっても、それは今、この世でジェシンだけが享受できるものだ。十分だと思った。
「サヨン・・・昨日の今日です。申し訳ないです。」
「てめえじゃねえ、ユニを迎えに来たんだ。」
「分かってます!」
すぐに歩き出し、都を目指す。話はできたか、と聞くと、ユニは息を弾ませながら頷いた。
「お父様のことを教えていただきました・・・。またお訪ねするのだから、これから少しずつお父様の思い出をお話しくださるのよ、お兄様。」
「お母上は・・・お辛くはないのだろうか。」
そうユンシクに向けて聴くと、大丈夫だと思います、とはっきり答えがあった。
「うちには父のものが多く残っているんですよ。母は、父の蔵書や衣服を決して手放さなかったんです。ご自分の衣服や飾りは売ってしまわれたのに・・・。僕のこの道袍も父のを仕立て直してくださったものです。僕と母は、父の物に囲まれて暮らしてきましたから。」
「ご本がね、一つの部屋いっぱいにあるの。今朝見せてもらったわ。全部お父様が遺したご本ですって。お兄様とヨンシンお兄様のお持ちの本を足しても足らないと思うの。」
細々と人を教えて暮らしていたというキム家の亡き当主。その蔵書がユンシクの今を形作ったのだが、父親の頭脳も引き継いでいたのだろう。
「私の頬や、背中を何度も手で確かめておられました。眠っているときも・・・。そしてお母様・・・ムン家の奥様に足を向けて眠れないと言っておられたわ。あ・・・お兄様、どうしましょう、どちらもお母様って呼びたいわ。」
「いいだろ、それで。」
まだ顔を合わせていないユニの実母の気持ちを想像する。頬が豊かか、やせ細っていないか、目が悪いと聞くから、声音にも耳を澄ませただろう。明るい声か。悲しみが混ざっていないか。我がムン家を信頼していないわけではないだろう。けれど赤ん坊だった娘が花の盛りを迎えようとしているときにようやく会えて、その育った過程を、その体に確かめられないかと思っているのだろう、と。健康か。飢えていないか。肌は荒れていないか。胸に悲しみや寂しさを溜めていないか。触れることで何が分かるかそんなことは関係ない。ただ、確かめたい、その一心だったのだろう、そうジェシンは思った。
「・・・ですからね、お兄様。帰宅日ごとだと間があきますから、帰宅日の合間に一度はお訪ねしようと思っているの。」
ん、と物思いから我に帰ると、そうユニがしゃべっていた。
「一人で行かねえのならいい。」
「もう道は覚えたわ!」
「貸本屋にだって供を連れて行くだろうが。」
「でも、ユンシクは一人で・・・。」
「お前は女だ!」
ジェシンが少し厳しい声を出したので、ユニは長衣の中の目をまん丸くして黙った。横からとりなすようにユンシクが口を挟む。
「そうですよ、今回は僕とサヨンが一緒だったからお供はいらなかったんです。一人でこんな街道を長距離歩くのには僕も反対です。」
「・・・ごめんなさい・・・お兄様・・・。」
ジェシンはため息を一つついて、俺も悪かった、と言った。
「きつく言い過ぎた。だがお前だってわかるだろう。お前が行くのを母上は止めやしない。キム家の母上だってお喜びになる。だが、それはお前がちゃんと自覚して言ってやらないと心配の種になる。供を付けます。いついつに行きます、いついつに戻ります、供はこの者を連れて行きます。そういう事をどちらの母上にも『お前が』ちゃんと『説明』するんだ。」
まだねんねだな、とジェシンが鼻先で笑ってやると、ユニは素直にうなずいてから、ふん、とふくれっ面を長衣から出して舌を出して見せた。