㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
「姉上様はとても働き者だね・・・。」
ソンジュンはユニの弟ユンシクが、ユニの知らない筆写の仕事のやり取りの日に貸本屋の近くで待った。彼は遠くまで帰らねばならないから、どこかでゆっくり座って、などという時間はない。だから落ち合ってすぐ、ユンシクと足並みをそろえて、都から続く街道の入り口まで歩きながら話をした。
最初はユニの話をするつもりはなかった。ユニによく似たこの少年に、人嫌いのソンジュンが興味をもったのは、最初に話をしたときの単なる感触だ。その前にユニと話をしている様子も立ち聞きしていたが、彼がとても謙虚で真面目そうな人柄だとなんとなく感じていた。だからもう少し彼のことが知りたかった。知っているのは彼の年齢とユニの弟だという事だけ。
父親がユンシクが10歳にもならない時に死んだこと。それから少しばかりあった家の財産は生活のためになくなっていったこと。その上ユンシクの虚弱さのために医薬にも金が必要で、世間を知らない両班の夫人である彼らの母は、言い値で金をむしり取られていったのだそうだ。姉のユニはその頃から、それでも境遇を気の毒に思ったらしい医師に紹介されて、書きものの筆写の内職をしてわずかな金を稼ぎ、家事をこなし、ユンシクの病床の傍でユンシクに書物を読み聞かせ、素読を寝たまま続けさせたという。
「おかげで僕は、とりあえず学問を自力で出来るまでに基礎を固めてもらえました。こうやって定期的に歩くことで、体がどんどん丈夫になっているのも実感があります。できるだけ早く小科を受けて、職を得て、姉と共に暮らせるようになりたいのです。」
ユニがなぜ叔父夫婦の下にいるのか、その訳は聴かせてもらえなかった。ユンシクの話からは、ユニがユンシクの世話を甲斐甲斐しくしているのが分かるのに、それでも実家を出なければならなかったのはよほどの事情があったのだろうと、ソンジュンはそれ以上を聞けなかった。
けれどユニのことを聞いたから、そんな感想を言ってしまった。実際ユニは茶店で見ていても働き者だったし。
「母が気落ちして寝込みがちになったあと、家のことをすべて取り仕切ったのは今の僕ぐらいの年だった姉です。僕、自分がそんな立場になったら、何もできる気がしません。叔父上の店で・・・手伝いをしているんですよね・・・。」
「そうです。俺もお店で君の姉上様に始めてお会いしました。俺の下人にまで親切にして下さる、優しいお方です。俺や、他の似たような客の顔もすぐ覚えて、それぞれにちゃんと挨拶してくださるんです。」
ああ、とソンジュンはその時初めて分かった。だから嬉しいのだ、と。特別視されるからうれしいというより、一人一人ちゃんと知っていてくれていることが皆うれしいのだ。同じ学堂の者で、茶店を訪れるのにかなり間の空いたものがいた。家の都合だったのだろう。冠婚葬祭、特に葬祭の方は家中が喪に服すことが多い。ひと月ぐらいは顔を出さなかったその少年を迎えたユニは、いらっしゃいませ、とほほ笑んだ後、席に着いたその少年に尋ねたのだ。しばらくお忙しかったのですか、ゆっくりしていらしてね、と声をかけたのだ。目立つところのない少年だった。まるで不思議なことを言われたかのようにしばらくぼうっとしていた。一緒に来た友人に肩を叩かれて、は、と我に返って真っ赤になっていた。そこにいたものたちは皆うらやましがった。茶店の美しいお姉様に覚えられていたのだ。けれど皆どこかで気づいていたのだ。自分も覚えてもらっている、と。ちゃんと自分一人に話しかけられているという覚えが皆少しずつあったのだ。彼がその時少し目立っただけで、皆大なり小なり同じように声をかけられることがあった。ソンジュンだって同じだったのだ。
「姉は記憶力がいいんです。鍛えたと言っていました。父は田舎で人に学問を教えていましたが、姉は自分も幼いころから学びたかったそうです。けれど娘に学問は必要ないと、母に叱られて・・・ちょっとの事でも頭にいれようと、漏れ聞こえる父の教授の声を一言も忘れまいと必死に耳を澄ませていたそうです。短い時間で本を読まなければ母に見つかるから、と一度で何でも読んで覚えるように頑張ったと・・・。元の才なのでしょうが、努力も意気込みも違ったのでしょう、僕と。その記憶の良さが、店での仕事にも発揮されているわけですね。」
ユンシクが懐かしそうに嬉しそうに言う言葉に、ソンジュンは深く納得した。