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成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
作品舞台及び登場人物を江戸時代にスライドしています。
ご注意ください。
その頃、江戸新宿(にいじゅく)の金本道場の朝稽古に、ようやく来ることが出来ました、そ爽快な表情で朝稽古の汗をぬぐう伊藤俊之介の姿があった。道場襲撃からすでに半月たっての事だった。
俊之介は二人の藩士を従えてきていた、というか朝稽古の途中に二人は現れ、道場の隅で稽古を見学していたのだ。この二人を、一人は江戸藩邸の勘定方を拝している者で、一人は付き添いだと紹介した。
「帰途、野間殿の滞在先にお訪ねする予定で、預かっていた25両をお返しするために、見届けの者を帯同したのです。」
俊之介は自分の行動にも徹底して証拠を残そうとしているのが明白だった。受け取りに署名してもらえばよいではないか、と師範代はおおらかだったが、金のことを発端に今回の藩の後継者騒ぎに決着をつけたいと思っている俊之介とすれば、金のことで寸の先の疑惑も持たれたくないとすました顔をしている。
「それに、このような大金、持ちなれていませんでしたので一人で持ち歩くのは嫌ですし、伺いたいととりあえず書面を差し上げたところ、滞在先の家主殿が夜のお座敷のお勤めもある方で、朝早くは勘弁してやってほしい、という返答が参りましてね。」
銀之丞はヒモとして芸者の姐さんの家に転がり込んでいる。そこそこ付き合いは長く、師匠もするほどの独り立ちした姐さん芸者だそうだが、未だ常連客や確かなお座敷には現役で呼ばれる売れっ子なのだそうだ。とは、銀之丞と楽しく話に盛り上がっていた師範代の安藤が言っていたことだったが。
この度はわが藩の恥部をお見せし、更にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます、と金本先生の座る座敷の外の廊下で平伏した俊之介だったが、すぐに許されて共に朝餉を頂いた後の会話だった。供の二人は違う部屋で同じ朝餉を頂きました、と丁重に金本先生に頭を下げ、お待ちしています、とすぐに座敷を辞していった。
朝早くが時間が空くならば、と俊之介は朝稽古にいつものように走ってきたのだ。だが、さすがに人のところを訪ねるわけだから、と稽古着で走りながら小脇に着替えを包んだものを抱えてきていた。今は既に外出着用の小袖と袴に着替えて、たたんだ羽織を傍に置いている。供の二人には道場まで来てもらうつもりはなかったらしいが、稽古の様子を見てみたいと願われて、それならば、と待ち合わせ場所を道場にしたのだ。
「ありがとうございます、由仁さん。この茶を喫しましたら、道場を出ます。」
供の二人の朝飯の用意までさせてしまったと頭を下げる俊之介に、皆さんと同じものですから、と由仁は明るく笑った。
由仁は忙しい。皆の朝餉が終れば、掃除や洗濯などいつもくるくると働いている。なのに茶を入れた後ももじもじと座敷に居座っているので、俊之介はすぐにその意図を察した。
「五日前に朝木に無事についたと津倶浦屋から連絡が来ましたよ。由も元気に陽高様のお屋敷に入ったそうです。」
明らかにほっと肩を上下させた由仁と、表情も態度も変わらないながらも、迷惑をおかけすることがなくて重畳、と頷いた金本先生に、俊之介は苦笑した。
「信さんがついていますし、津倶浦屋の友造が一緒ですからね、何があっても大丈夫でしたよ。ただ、こういう場合、俺に一報をくれなきゃいけないのは信さんだと思うんですが、何の音さたもないのが返って信さんらしいというか・・・。」
「由久が面倒をかけているのだ。余計な仕事を増やしただけではないかと危惧しておる。」
「いえ、案外旅の間は助かったんじゃないでしょうか?」
快活で案外しゃべり好きな陽高の話し相手を由久がしてくれるのだ。その相手をする労力が減っただけましだったろう、と思う俊之介だった。10日もかかった旅の日数には深く在信に同情したが。
「だが、着いてからが勝負であるのだろう。あちらではどなたが先導して事を運んでくださるのだ?」
ふと聴いた金本先生に、茶を飲みほした俊之介はにっこりと笑った。
「信さんの兄上様、寧信様です。軍師はちゃんとおられますので。」
「文屋は『軍師』という器ではないのう・・・。」
しみじみという金本先生の言葉に、俊之介はとうとう笑い出してしまった。