北海道・自給自足の農園刑務所「博物館 網走監獄」その3 | 気ままに☆旅の雑記帳

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旧網走刑務所の歴史的建物を保存展示する野外博物館「博物館 網走監獄」。

 

順路では「網走刑務所水門」から「裏門」の中に戻って「網走刑務所職員宿舎」へ行きます。

塀の外に出たのをいいことに、戻ることなく先へ行ってしまいました。

 

 

 

1952(昭和27)年から39年間用いられた「釧路地方裁判所 網走支部法廷」復原棟。

実刑判決を受けた被告人の多くは網走刑務所で服役したそうです。

 

 

 

こちらは、醤油桶が保存されている「味噌蔵」。

経費節減のため、1892(明治25)年に工場を建てて、味噌と醤油を自給したそうです。

 

 

 

別名「動く監獄」と呼ばれた「休泊所」。

受刑者が塀の外へ出て、日帰りできない作業をする場合に寝泊まりをした仮小屋です。

 

 

 

 

多くの受刑者が投入された、1891(明治24)年の網走-旭川間の中央道路開削工事では、

工事の進行にともなって、休泊所を解体しては移動していったそうです。

 

 

 

農機具や肥料、収穫された作物を入れる「耕耘庫」。

このような小屋が、板ぶきや草ぶきで10棟あったそうです。

 

 

 

大正時代、網走には鍛冶業が9戸あり、網走監獄にも鍛冶工が存在したとのこと。

農具などの鍛冶製品の製造や修理を行っていたと推測されています。

 

 

 

収穫した大根を乾かし、大きな桶に「たくあん漬」として大量に貯蔵した「つけもの庫」。

野菜のほか、穀類も生産するようになり、自給自足が行われていたそうです。

 

 

 

北海道開拓、網走監獄の歴史を紹介する展示施設「監獄歴史館」。

こちらでは「網走監獄入獄写真」を撮ることができます。

 

中央道路の開削工事の様子を、体感シアター「赫い囚徒の森」で見ました。

3面スクリーンの、臨場感あふれる映像に圧倒されました。

 

 

 

1896(明治29)年に網走の西方丘陵地に設置された「二見ヶ岡刑務支所」。

自給自足を目指して農場を造成し、作物の管理から収穫まで収容者が行ったそうです。

 

 

 

二見ヶ岡支所に電話が開通したのは1937(昭和12)年のこと。

開通するまでの40年間、通信手段として伝書鳩が使われていたそうです。

 

 

 

当時行われていた、春の開墾、種まき、夏の草取り、秋の収穫が再現されています。

刑務所農場として日本一広い土地を有効に活用し、寒冷地農業に取り組んでいるそうです。

 

囚人たちが中央道路開削工事に携わっていたこと、自給自足を目指す農園刑務所だったこと、

網走監獄・網走刑務所について、新しい学びがありました。

 

その4では、放射状に広がる「舎房」に入ります。