長野・真田昌幸が徳川軍を2度も撃退した「上田城」 | 気ままに☆旅の雑記帳

気ままに☆旅の雑記帳

ヒマがあってもなくても旅に出ています。
旅先では、名所を見る、おいしいものを食べる、温泉に入る、御朱印をいただくなど、何でもありのことをしています。
国内外の旅はもちろん、ちょっと出かけたところでのことを気ままに綴っていきます。


上田市にある「上田城跡」へ行きました。
現在は、上田城旧二の丸内が「上田城跡公園」となっています。

 

 


上田城跡公園駐車場(櫓下観光駐車場)に車を駐めました。
駐車場のあたりは「尼ヶ淵」と呼ばれ、千曲川が流れる天然の堀になっていたそうです。

 

 


かつて上田城二の丸の堀だった「けやき並木遊歩道」。
昭和初期には電車が走っていたとのこと。

 

 


上田城は、1583(天正11)年、真田昌幸によって築かれた平城です。
第一次、第二次上田合戦の2度、徳川軍を撃退し、天下にその名を轟かせました。

関ヶ原の戦いののち、真田昌幸は配流され、城は破却されました。
現在残っている城跡は、江戸時代初期、仙石氏によって再建築城されたものです。

 

 


1994(平成6)年に復元された「東虎口櫓門」。
東虎口櫓門には、「真田石」と呼ばれる巨石が置かれています。

 

 


「真田石」は、真田信之が移封にあたって、父・昌幸の形見として松代に持って行こうとしたところ、動かすことができなかったという言い伝えがあります。
 

 


東虎口櫓門を抜けると、歴代の上田城主を祀る「眞田神社」があります。
こちらは、明日のブログで紹介します。

 

 


信之移封後、入封した仙石氏によって建てられた「西櫓」。
上田城で江戸時代から現存している唯一の建物です。

 

 


西櫓からは、尼ヶ淵・上田城跡公園駐車場方面が一望できます。
徳川軍を迎え撃った時、どのような光景が広がっていたのか、想像してしまいました。

 

 


本丸跡から見た西櫓と西虎口方面。
西虎口の脇から階段を下って駐車場に戻ります。

 

 


階段を下りて西櫓を見上げ、天然の要害になる断崖だと改めて実感しました。
 

 


「御城印」は、上田市観光会館2階にある観光案内所でいただきました。
クリヤーファイル付き、眞田神社が作成した直筆の御城印です。