1977年のアルバム(その44 Rainbow On Stage)
ロック・ギター少年のカリスマ
Ritchie Blackmore
Rainbowを率いて1976年に来日決定
当時はまだ大物来日ミュージシャンも少なかったので、同時期のBay City Rollersの来日と並んで超ビッグ・ニュースになっていました。・・・
自分は名古屋公演にも行くことができず、熱も冷めていたのですが・・・
Deep Purple同様、日本公演のライヴ・アルバム
が出ることに
Chase The Rainbowと題され、1977年、音楽雑誌に広告まで載りました。・・・
・・・が、しかしRitchie側から、その内容が不満(
)とのことで、発売中止に・・・
そして日本公演に海外での公演
でのライヴ・レコーディングも加えた2枚組ライヴ・アルバム
Rainbow On Stageが登場したのでした。
Rainbowのメンバーは、1976年の来日時同様・・・
Ritchie Blackmoreギター
Ronnie James Dioヴォーカル
Tony Careyキーボード
Jimmy Bainベース
Cozy Powellドラムス
前記の日本公演と、1976年9月のドイツ公演での収録
プロデュースはお馴染み、Martin Birch
尚、Jimmy BainとTony Carey
は日本公演
の後に解雇されています。・・・
レコード1枚目A面、大歓声の中、The Wizard Of Oz(オズの魔法使い)のDrothyの台詞
"We Must Be Over The Rainbow!"
この声がこだまして、Ritchieのギターで・・・
Somewhere Over The Rainbow「虹のかなたに」
場内熱狂
ドラマチックなオープニングから、一転、スピード感あふれるハードなロックン・ロール、Kill The King
Ritchie、Ronnie
、Cozy
の共作で、この当時はまだリリースされていないナンバー
パワフルなCozyのドラムス、軽快なTony
のオルガン
そして限りなく熱唱するRonnie
勿論。Ritchieのギター
このようなハードなナンバーでも、クラシカルなフレーズが出てくるのがRitchie
最初からパワー全開
(イントロ部分は9月28日のNuremberg公演、後半部分は9月29日のMunich公演での収録)
2曲目は、Man On The Silver Mountain「銀嶺の覇者」
言うまでもなく、アルバムRitchie Blackmore's Rainbow収録の彼らの代表曲で、Ritchie
とRonnie
の作品
スタジオ録音版に比べてアップ・テンポに
ドラムスがCozyによってかなりハードに
、そしてキーボード類もTony
によって華やかなプレイに
その中で、Ronnieが吠え、Ritchie
のギターが唸ります。
(12月16日の日本武道館公演の昼の部での収録)
続いて、Blues、これはRitchie
作の未発表のインストゥルメンタル
このような、Eric Claptonを思わせるブルースをプレイすることから彼が多彩なギタリストであることがわかります。
ここで急変して、Starstruck
RitchieとRonnie
の共作で、前作Rising
から、軽快に熱唱するRonnie
(この2曲は12月16日の日本武道館公演の夜の部での収録)
再びMan On The Silver Mountainに
やはり盛り上がるナンバーです。
レコード1枚目B面・・・Catch The Rainbow「虹をつかもう」
Ritchie Blackmore's Rainbowから、Ritchie
、Ronnie
の共作
Ritchieのピッキングから、スローに始まり、Ronnie
が泣きのメロディ・ラインを熱唱
Tonyのキーボードも効果的に、途中からパワフルに盛り上がり・・・そして、Ritchie
のソロ
一度静まって・・・Cozyのドラムスから、再びハードなプレイ
最後、Ronnieのシャウトも入り、静かにエンディング・・・
約15分、この面は1曲です。・・・
(12月9日の大阪厚生年金会館での収録)
レコード2枚目A面(C面)
「Ritchieが前に書いた曲だよ・・・」とRonnie
Ritchieのギターから・・・
Mistreated
そう、Deep Purpleのナンバー、アルバムBurn
からで、Ritchie
とDavid Coverdale
の共作
(奇しくもDavid Coverdaleもその後、Whitesnake
で歌い続けています。・・・)
Ronnieの声は、David Coverdale
と似ている部分もあるのか、アレンジ等もDeep Purple
とあまり変わらないのですが・・・途中スローになり、手拍子の中、Ritchie
の独壇場に・・・
再びメンバーが戻ってパワフルにエンディング
この面も1曲でした。・・・
(9月25日のCologne公演での収録)
レコード2枚目B面(D面)
Ronnieと会場とのコール・アンド・レスポンス
「ファースト・アルバムから、16世紀のレディの歌だよ
・・・」
やはりRitchieのギターから静かに始まって・・・あのハードなフレーズ
Sixteenth Century Greensleeves「16世紀のグリーンスリーヴス」
Ronnieの言葉通り、Ritchie Blackmore's Rainbow
から、Ritchie
とRonnie
の共作、典型的なメロディアスな部分もあるハード・ロックです。
(12月16日の日本武道館公演の夜の部での収録)
この面2曲目は、軽快なギターのカッティングから、Still I'm Sad
The Yardbirdsのナンバーで、Paul Samwell-Smith
とJim McCarty
の共作、アルバムRitchie Blackmore's Rainbow
に収録ですが、その時はインストゥルメンタルだったにも関わらず、今回はRonnie
のヴォーカル
入り
途中、Ritchieがかなり早引きのソロ
そしてTonyもクラシカルなキーボード・ソロ
再びRonnieの歌が入り、最後はテンポが変わり、Ritchie
のソロも入り、ドラマチックにエンディング、アンコールを求める声とともにこのアルバム
も終了です。
(9月28日のNuremberg公演での収録)
このアルバム
最初はLive In Japanとして作られたものが、他の国のものも加えられて世界仕様となった・・・
その点では、 Kiss Alive IIと共通しているかもしれません。
チャート上は、全英No.7、全米No.65
何せMade In Japanが世界的なベスト・セラーとなっているDeep Purple
の中心人物Ritchie Blackmore
のRainbow
だけに、日本公演
も入っているライヴ・アルバム
には大きな期待が集まったのでした。・・・
ただこのライヴ・アルバム
ロック・ギター少年、Ritchie Blackmoreフリークからは、ライヴ
の名盤
というより、一種の教本のように思われていた・・・
そのような感じも否めないと思っています。
さて、Rainbowとしてのまさに待望の2度目の来日公演が1978年年明けに決定しましたが・・・
1978年1月27日、札幌であのような悲劇が起こることは・・・
当時は誰も想像しませんでした。・・・
(1976年のアルバム その21 Rainbow Risingに関する日記です・・・)
https://ameblo.jp/take-1097-da/entry-12383151675.html
(1975年のアルバム その53 Ritchie Blackmore's Rainbowに関する日記です・・・)
https://ameblo.jp/take-1097-da/entry-12351076738.html