1976年のアルバム(その21 Rainbow Rising)
1975年のハード・ロック界の最も大きなニュースの一つとして、Ritchie BlackmoreのDeep Purple脱退があったのですが・・・
すぐにRitchie Blackmore's Rainbowとしての活動を開始
但し、Ronnie James Dio以外のメンバーを解雇
どうなることやら・・・と思っていたところへ、
元Jeff Beck GroupのCozy Powell加入
これは大きな話題に
そして、それだけドラムスがパワー・アップされることは間違いないだけに、次のアルバムに対する期待は膨らんでいました。
キーボードにはTony Carey、ベースにはJimmy Bain
Ritchie、Ronnie、Cozyにその2人を加えた5人編成で、新生Blackmore's Rainbowは、前作と同様、ミュンヘンのMusicland Studiosでレコーディング
奇しくも少し前に、Led Zeppelin、Rolling Stonesがレコーディングしたところです。
プロデュースはMartin Birchです。・・・
そしてそのアルバムは期待以上の出来
そのような話が伝わってきました。
そして、日本でも初夏のあたりに、FM等での新譜紹介でかかり始めました。・・・
・・・で、聴いたのはTarot Woman
パワフルなロック・ナンバー
そう、まさにRitchieファン、Deep Puroleファンが望んでいたのはこういう曲でした。
またアルバムのB面は、8分以上ある長い曲が2曲収録されているとのこと
Ritchie主導の時代のDeep Purpleにもそのくらいの長さの曲が結構あったと思います。・・・
さてその新作、タイトルはRainbow Rising
邦題は「虹を翔る覇者」となりました。・・・
Ritchie Blackmore、ギター
Ronnie James Dio、ヴォーカル
Cozy Powell、ドラムス
Jimmy Bain、ベース
Tony Carey、キーボード
この5人によるRainbow
アルバム全6曲、Ritchie BlackmoreとRonnie James Dioの共作です。
A面・・・当時としてはまだ珍しいシンセサイザー音から、オルガンが入り、徐々にギター、ベース、ドラムスが入り、ヒートアップ
Ronnieの熱唱Tarot Womanでスタート
Ritchieはまさに水を得た魚のように弾きまくり
そう、ファンはこの音を待っていたのです。
2曲目、Run With The Wolf
ややスローなブギー・スタイル
Ritchieの音もノっています。
3曲目、印象的なフレーズのイントロから、Starstruck
こちらはシャッフル調で、Deep Purple時代のStrange Kind Of Womanを思わせます。・・・
日本ではシングル発売されました。
4曲目、この面最後はシンプルなハード・ロック、Do You Close Your Eyes
覚えやすい曲調、Ronnieの熱唱も印象的です。・・・
B面に行くと、アルバム1の大作、Stargazer
Cozyのドラムスから、ヘヴィーな曲調に
そしてバックには、Munich Philharmonic Orchestraによる管弦楽団
Fritz Sonnleitnerがコンサート・マスター、Rainer Hermanaがコンダクター
このオーケストラをバックにRonnieが熱唱
そして、クラシック音楽に影響されたRitchieのギター
このアルバムの楽曲はとにかくスピードとパワーを感じますが、この曲に関してはスケールの大きさを感じます。
ストリングスが入っているので、Led ZeppelinのKashmirを思わせるところも・・・
尚、歌詞にアルバム・タイトルRainbow Rising~と出てきます。
そして2曲目、アルバム最後の曲もCozyのドラムスから始まるA Light In The Black
こちらもスピード感あふれるナンバー
Ritchieの早弾き
途中のTonyキーボードのソロも、どことなくJon Lordを思わせます。
そう、アルバムはRitchieがファンから望まれていたサウンドで、パワフルにエンディングとなりました。
前にRitchie Blackmore's Rainbowのところでも記させていただいたように、Ritchie Blackmoreの信者といえる人たちは、Deep Purple In Rockや、Machine Head、Made In JapanでのRitchieを求めていたわけで、前作に何か物足りなさを感じたことは否めないでしょう。
それが払拭されたともいえるようなこの内容
ファンからは大絶賛の嵐
そしてそれはLed ZeppelinのPresenceに対するものとは違って、とにかくまだBlackmore's Rainbow自身が未知数のものでもあっただけに、嬉しい悲鳴ばかりだったように思います。
そして、ちょうどこのアルバムがリリースされた少し後に・・・
Deep Purpleが解散を表明しました。・・・
Ritchieファンは勿論、全Deep Purpleファンの期待も一気に背負う感じになったRainbow
1976年12月に急遽来日公演が決定しました。
3年以上、日本に来ていないRitchie Blackmore
上記のようなファンは狂喜
ということで、チケット争奪戦も激しく
名古屋の高校生だった自分は名古屋市公会堂公演のチケットを購入できませんでした。
自分自身はそれで、Ritchie Blackmore熱が冷めてしまった・・・
これは否めないでしょう。(苦笑)
(奇しくも同じ頃に、Bay City Rollers初来日公演が行われました。(苦笑))
このアルバム、トータルで33分くらいと、決して長くはないのですが、まさにスキのない音作り、そして全曲躍動感に溢れていて、非常に高いテンション
そしてDeep Purpleの原動力はRitchie Blackmoreにあったんだ
それを改めて認識することになり、Ritchieのカリスマ性はどんどん大きくなっていくのでした。・・・
尚、日本公演の後に、ベースのJimmy Bainは解雇されました。・・・
(1975年のアルバム その35 Ritchie Blackmore's Rainbowに関する日記です・・・)
https://ameblo.jp/take-1097-da/entry-12351076738.html