こんばんは、天野隆征です。
昔よく観た映画を、今の視点で見直してみると新しい発見や学びがあって面白いな、と味をしめた私。
今回も、TSUTAYAにひとっ走りして借りてきたジブリ作品に関する書き留めです。
その作品は、ズバリ「紅の豚」。
一見すると、もののけ姫のような重いテーマを背負った作品には見えませんが、
その実、もの凄く重いものを語っているのでは…。
と思いましたが、結論そんなことはなく、
時代的な暗さを持ちつつもどこまでも明るい、そのあたりに宮崎駿監督らしさを感じる、
言うなれば「作りたいものを作りました」の作品なのかなと思いました。
(ポルコという豚は、たぶん宮崎監督本人が仮面をかぶった姿なんだろうなと、思ったり思わなかったり)
何故そう思うのかというと、
紅の豚には、深めようと思ったらいくらでも深められるテーマの暗喩、とでも言うべき記号がふんだんに描かれているのですが、結局そういう方向には話は展開しないし、特に裏読みできそうな整合性も感じないからです。
例えば冒頭の場面。
アジトの孤島でポルコが昼寝をしているとき、頭に載せているシネマ雑誌の年表が、1929年になっています。
1929年といえば世界恐慌の年です。舞台であるアドリア海周辺でいえば、バルカン半島に国王独裁制(憲法停止)によるユーゴスラビア王国が成立した年。イタリアではムッソリーニが政権を握るファシズムの時代であり、重すぎた戦争の負担からハイパーインフレが発生したり(作中にも少しありますが)、労働ストが頻発したりという大変な時期。
経済的にも政治的にも、アドリア海周辺は非常に危うく暗澹たる時代であり、受難の年。
しかしこの作品では、ど真ん中ストレートでそういう方向には行かずに、いくらか匂わせる程度。
「1929年」の表記についても、ほんのり「苦しい時代」だと匂わせるくらいの使い方にとどまっています。
また、昔から気になっていたカーチスの胸の三本線のマーク。
あれは国旗のように見えるのですが、そうだとすると個人的には、第一次世界大戦の戦後処理の過渡期に誕生した「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国」の三色旗(国旗)を連想してしまいます(まあオランダかもしれませんし、そもそも国旗ではないのかもしれませんが)。
この国はユーゴスラビア紛争に代表される、第一次世界大戦以降の旧ユーゴ地域の民族問題のさきがけとでもいうべき国です。
実は、紅の豚の公開年(1992年)はユーゴスラビア紛争が始まった時期(1991年)とも近接しており、そういった意味ではそれに影響を受けて「民族、戦争、政治」などのテーマを背負うこともあり得たと思いますが、それらは多少かすって以上終わり、という感じにとどまっています。
あるいは、ポルコがフィオに語って聞かせた昔話。
パトロール中のイタリア空軍と遭遇したのは、白と赤に塗装された翼、車体には黒十字のある、見る人が見ればすぐにドイツ帝国を連想させる配色の敵軍。
時代的には第一次世界大戦の暗喩にも思えますが、アドリア海でイタリアとドイツが空戦をするなんてことが、地理的にありそうもない。オーストリア=ハンガリー帝国なら分かりますが。
なので、あの空中戦はどこまでも「ポルコが昔、敵軍と戦った戦」であり、それ以上でも以下でもないだろうと。
などなど、他にもたくさん、
紅の豚には第一次世界大戦~1930年くらいまでの、ヨーロッパの政治・経済・戦争・民族などに関する「負の側面」を感じさせる記号がふんだんに描かれているのですが、それらがことごとく「そういう時代の物語です」という匂いづけくらいにしか機能していないんですよね。
ナウシカやもののけ姫など、人間の「負」を正面から扱った作品と比べると、全く逆です。
記号をふんだんに、意図的に取り入れているように見えるのに、そういう方向には持っていかない。
なので、これは人間がどうこうとか世界がどうこうとかではなく、
宮崎監督の人生哲学とでもいうべきものを世界観と豚に語らしめた、「作りたいものを作りました」の作品なのかなと。
とても素敵な作品であることには変わりないのですが。