こんばんは、天野隆征です。
その⑦ですか…。長い。
とはいえ、こういう気づきは一期一会なので、忘れる前に書き残しておかないと。
ということで、我ながらくどいなと思いつつ、まだ続きます。
何年かぶりにラピュタを観て気づいたこと。
さて、今回は(恐らく)ラピュタのサブテーマ的位置づけにあるであろう、
「働く」あるいは「社会で生きる」ということについて。
ラピュタは、
・子供(パズーとシータ)が、労働に組み込まれている
→鉱山とタイガーモス号のシーン
・労働が、非常に快活に生き生きと描かれている
→主にタイガーモス号のシーン
という二点が印象的で、
これは恐らく宮崎駿監督の労働観もとい、人生観がそのまま描かれているのではないかと思ったりします。
(前者は「子どもも働け!」ということではなく、子供のうちから働くことの何たるかを知るべき、と言うくらいの意味)
特に、タイガーモス号の労働のシーンは、久々に観て唸ってしまいました。
ドーラが「しっかり稼ぎな!」と叫んだ次の瞬間、乗組員が皆であくせく働きはじめるんですよね。
略奪を旨とする海賊が、協調して働くんです。しかも額に汗して。
「そりゃ、飛行船に乗ってるんだからそういうことも必要だろ」と言ってしまえばそれまでなのですが、
このシーンは、無くたって物語上何の支障もないんです。
それを、しっかり描く。
結構な尺を使って、快活に。
「額に汗して働く→モリモリ食べる→寝る」という、(社会で)生きるという行為そのものを、文字通り「生き生き」と描く。
何だか心が洗われるようです。
そして、それとはある意味対極にありつつ、これまた非常に味わい深いシーンが、
結構さかのぼって、パズーが要塞から家路につく場面。
夜道を逃げ帰るパズーが石に躓いて、ポケットから飛び出た金貨をひったくって
「こんな金!」とばかりに投げ捨てようとするものの、考え直して振り上げた拳を惨めそうに下ろして、トボトボ歩き出すというあのシーン。
あれは子供の頃は「結局貰うんかい!」などと、どちらかと言うと突っ込みシーンだったのですが、
大人になると、あれは何とも言えない味わいがあります。
ムスカから、いわば手切れ金として受け取った金貨。
パズーからすれば屈辱の、汚い金です。
それを、一瞬捨てようとするものの結局は受け取る。
「金貨は金貨。生きるために必要だ」と、矛を収める。
そういうことだと、私は受け取りました。
体面と実益を秤にかけて、後者を取った。
なぜなら、パズーも生きなければいけないから。
生きるためには、金が要る。
そういう、社会で生きるために、ある種大人にならないといけないという、葛藤や惨めさのようなものをきちんと描いているんですよね。「パズーは子供だから」と言って、妥協しない。
こういうところが、この作品がどの世代からも支持される所以なのかもしれませんね。