【その⑤】久々にラピュタを観て思ったこと | 天野という窓

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渋谷で働くサラリーマンのもう一つの顔、小説家:天野の日常を綴るブログです

こんばんは、天野隆征です。

 

まだまだ続きます。何年かぶりにラピュタを観て思ったこと。

ここまでかなり抽象的な話ばかりでしたが、今回は視覚的なお話です。

 

それは、「高さ」の使い方が素晴らしいということ。

「空の話なんだから、当たり前だろう!」と思われるかもしれませんが、そうじゃないんです。

空と地上と、そして「地下」をちゃんと使うということなんです。

 

例えば、冒頭のシータが空から落ちてくるシーン。

ここは、地上に落としたってストーリー上何の違和感もないんです。

パズーはまっ平な平原でキャッチしてもいいし、家の屋根だっていいのです。

 

それが、ちゃんと地下まで落とす。

(厳密には、鉱山の穴ぼこの中に)

 

しかも、地下(穴ぼこ)に高いところを作って、その上に落とす。

 

この、ある種対比的な表現は本当に素晴らしいと思うんですよね。

小説を書く時も、いかに空間を表現するはかなり意識するポイントなのですが、このやり方はとても勉強になります。

 

地下の使い方としてはもう一つ。

ポム爺さんと飛行石について話す場面。あれは地下ですよね。

あれも、夜の設定にして地上でやっても、ストーリー上何の違和感もないんです。

 

それを、地下に夜空を作って、そこで語らせる。

天空と地下を繋いで、そこで飛行石が語られるんですよね。

 

このコントラスト。

あー、何て素晴らしいのでしょう。

(ちなみに、天上と地下を繋ぐというのは、古典的には冥府の暗喩にも思えるのですが、そういった意図があったのかなかったのか。。)

 

鉱山の谷の描写もいいですよね。

貨物列車でドーラから逃げるとき、列車は(だいたい)常に谷底の高架を走ります。

地上でも谷底でもない、谷底に敷設された高架。

つまり「列車の上にも下にも、空間があるんだよな」と、自然に高さ感が想起されるレイアウトです。

しかも、谷の中なので横は崖。つまり左右の空間は限定されている中で、上下のみが強調される。

いやー、すごい。

 

こういうのは、アニメのような視覚的表現にとどまらず小説でも多かれ少なかれ使えるんですよね。

効果的なオブジェクトの配置による空間表現。勉強になります。