こんばんは、天野隆征です。
今回も、何年かぶりに「天空の城ラピュタ」を見て気がついた、ラピュタの特徴であり魅力について、
徒然なるままに書き留めたいと思います。
今回書くことも、引き続き本作の「危ういアンビバレントさ」についてなのですが、
今回のそれは、前回よりもある意味では重要だと考えています。
それは、コンセプトと内実のアンビバレント、というより乖離についてです。
始めにお断りしておきますと、これは普通に作品を鑑賞することを目的にした、観る側の視点としては(結果的に)何の問題もないと考えています。
ラピュタは日本人なら誰もが名前を挙げるであろう名作ですし、老若男女、あらゆる世代が通っています。
かく言う私も、小さい頃からことあるごとに、何度も観て楽しんだ口ですので、その視点からすれば全く問題ないというか、むしろあらゆる世代が鑑賞できる作品としての、ある種の普遍性を獲得したとさえ言えますので、観る側の視点としては成功しているのです。
では何が重要なのかというと、「創作する」側の視点、
つまり自らの着想や意図をもって、その世界を統御する立場で考えたときに、あるストーリーの代償と効果について、よくよく考えないといけないなという、ものすごく個人的かつピンポイントな学びの観点でです。
…さて、防壁をこさえたところで、本題に入ります。
ラピュタというのは、どうやら企画段階では「子供向けの冒険活劇」として成立したようです。
しかしこの作品、どう観ても「子供向け」の「冒険活劇」ではないような気がします。
もの凄くいい加減に推測すると、
子供向けの冒険活劇を志向しつつ、大人の鑑賞にも耐える作品として制作した結果、むしろ「大人向けの、活劇要素が盛り込まれたテーマ性満載の作品(でも子供も観れるよ!)」というバランスに仕上がった、ということなのかなと思っています。
これ自体は良いと思います。
上述の通り、このバランス感は長期的視野に立てば、結果的に幅広い世代の視聴層を獲得するという点で、明らかにうまくいっていますし、作品の制作過程で「こっちのほうがいいじゃん!」と、コンセプトから乖離していくことはよくあるからです。
(なんだかものすごく立場をわきまえない発言をしているような気もしていますが。。これは至極個人的な書き留めとして書いております。。ほとんど誰も読んでいないですし。。)
ただ、子供も観れる、子供も楽しめる作品であることを志向した場合に、
果たしてあれは、やるべきだったのか。上述の表記になぞらえるなら、払った代償に対して相応の効果を得られているのかが、非常に気になるシーンがあるんですね。
結果論でいえば、観る側としてはあのシーンは、ラピュタを語るうえで外せない場面になっているので、そういった意味では「やるべきだった」ということなのだと思います。
ただ創作する側としては、やはりその代償と効果はよくよく考えて、そして自分の創作に生かさないといけない。
…散々引っ張ってあれですが、長くなりましたので続きは次回。。